Dance Archive

ダンス・アーカイヴ in JAPAN 主催:新国立劇場 制作協力:現代舞踊協会

日時
DAiJ2014公演
2014年6月6日(金)19時、7日(土)15時、8日(日)15時

DAiJ2015公演
2015年3月7日(土)15時、8(日)15時
会場
新国立劇場中劇場

日本独自の創作舞踊のパイオニアたちの作品を復元上演し、日本の洋舞の原点を確認すると共に「今」そして「未来」を展望する、という趣旨で、2014年6月・2015年3月の2回にわたり、「ダンス・アーカイヴ in JAPAN」が新国立劇場中劇場で開催されました。いずれも大きな反響を呼び、日本の洋舞100年の蓄積を一堂に蘇らせた歴史的公演と好評を博しました。

第2回公演の折には、公演関連書籍として「日本の現代舞踊のパイオニア “日本の洋舞の創世記を切り拓いた振付家たち”」が、新国立劇場情報センターから発行されました。

※この公演は、現代舞踊協会が毎年夏に開催してきた「夏期舞踊大学講座」の成果として結実したものです。「現代舞踊のパイオニアに学び、クリエーションの世界を探る」と銘打ち、毎年1~2名のパイオニアを取りあげ、その理念や仕事、人となりを、学究的な立場や実際にこの人物達に接した舞踊家達の立場の2つの側面から、シンポジウムとワークショップによって立体的に再評価。その価値を次世代に受け継ぎ、新たな創造を喚起しようとするものです。受講者達は10代、20代が多く、新鮮に受け止め、熱心に臨む姿が見られました。(参考)

1.ダンス・アーカイヴin JAPAN(DAiJ)企画運営委員会 代表 正田千鶴あいさつ

2.上演プログラム1(2013/2014シーズン新国立劇場現代舞踊公演)

3.上演プログラム2(2014/2015シーズン新国立劇場現代舞踊公演)

4.  振付家プロフィール

5.作品責任者による復元上演までの道のり

井村恭子 伊藤道郎「ピチカット」「タンゴ」
山田奈々子 高田せい子作品「母」復元の記録
藤井利子 小森敏作品の再現にあたり
執行伸宜 「恐怖の踊り」再現にあたり
折田克子 石井みどり作品「体」
石川須姝子 檜 健次作品を担当して
石井かほる ダンス・アーカイヴ石井漠作品再生作業に関わって・・・
石井 登 ダンス・アーカイヴ in JAPANを終えて
金井芙三枝 江口隆哉・宮操子  アーカイヴ公演について

6.ダンス・アーカイヴin JAPAN(DAiJ)企画運営委員会3役鼎談

7.参考:夏期舞踊大学講座「現代舞踊のパイオニアに学び、クリエーションの世界を探る」記録 (第1回~第6回)

ダンス・アーカイヴin JAPAN(DAiJ)企画運営委員会3役鼎談

日時
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会場
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(一社)現代舞踊協会 《ダンス・アーカイヴ in JAPAN》公演を終えて
鼎談 正田千鶴 片岡康子 加藤みや子
聞き手 : 稲田奈緒美(舞踊評論家)

-2014年6月の第一回、2015年3月の第二回にわたる《ダンス・アーカイヴ in JAPAN》公演を振り返って、企画運営委員会として企画、交渉、運営を担った正田千鶴研究部担当常務理事、片岡康子お茶の水女子大学名誉教授、加藤みや子常務理事の3人による鼎談が行われた。現代舞踊の先人たちの作品を復元し、未来へとつなげようとする本企画の発端は、毎年研究部の企画で行われてきた夏期舞踊大学講座にあった。

正田 夏期舞踊大学講座ではずっと、海外の舞踊家を講師に招いたり、批評家の講話も海外のことばかりでした。若い人たちも海外に学びに行くし、海外の現代がどうなっているかはよく紹介されていたけど、私としては、古い日本の舞踊家の流れを汲んでいる人から学ぶ機会があってもいいんじゃないか、と思っていました。私が担当常務理事になったらやるぞ、と思っていたんです。それで、長年、日本の舞踊家について研究してこられた片岡先生にお電話して、心中をよくお話ししたんです。それから加藤先生は、山野博大先生と「ダンス人間史」という企画でいろいろ研究をしていらしたから、担当理事になっていただきました。お二人の協力を得て舞踊大学を続けましたが、常に私の頭の中には、日本の古いものを掘り起こして、劇場に売り込みたい、という思いがありました。舞踊家ですから、やはり作品を劇場で上演することが大好きなんです。

片岡 正田先生が研究部担当常務理事になられて始まった、夏期舞踊大学講座「現代舞踊のパイオニアに学び、クリエーションの世界を探る」シリーズがなければこの《ダンス・アーカイヴ in JAPAN》はなかったですね。2009年の夏期舞踊大学講座で、第一回目に石井漠、第二回目に江口隆哉、その後津田信敏、邦正美、小森敏、檜健次、伊藤道郎、高田せい子、執行正俊、石井みどりを取り上げました。現代の若いダンサーが、日本の現代舞踊の歴史を学ぶだけではなく、作品を実際に踊って学ぶ、という趣旨で毎回の内容を企画して続けていましたが、3年目に入った頃、正田先生が「これは新国立劇場でやらなきゃ!」と仰ったのでしたね。

加藤 そして新国立劇場への売り込みを考えた。

片岡 2011年頃から、「新国立劇場がだめならば、自分たちで資金を準備するしかないのか」などと、いろいろ相談し始めたんですよね。山野博大先生をお招きしたり、うらわまこと先生にお話を伺ったり。

正田 常にどうすれば実現できるかと、私は新国立劇場に行くたびに、「プロデューサーにどう言えばいいかなあ」と、2年くらい思っていました。ある時、うらわ先生とダンス公演の休憩のときだったかお話ししたら、うらわ先生が上手に、柔らかく望月辰夫プロデューサーに言ってくださった。

加藤 海外ではディアギレフのバレエリュス誕生100年にむけて、歴史を振り返る企画が増えていた時期でしたし、新国立劇場バレエ団でもデイアギレフの夕べが企画として決まっていた時期でしたね。それで日本では…という展開は必然だったと思います。

片岡 最初は大変でしたが、決まると早かった。望月さんに2011年から売り込みを始めて、2012年8月に詳しい話を聞きたいというお声がかかりましたね。それで、当時芸術監督だったビントレーさん初め制作会議で認めて頂くために、急いで映像を集めてDVDのハイライト集を作りました。すると、すぐに第一回公演のラインナップが決まったのです。夢のようでしたね。それまで夏期舞踊大学で取り上げた舞踊家の作品から、〈日本の太鼓〉を含めて第一回公演のプログラムを決めました。その次の第二回公演のプログラムは、夏期舞踊大学を進めながら取り上げるべき舞踊家や復元可能性のある作品を探り、絞りこみ、決定までは苦労しました。残念ながら取り上げることができなかった舞踊家や作品もあります。

-そうして第一回公演は、第一部〈日本の太鼓〉、第二部〈ピチカット〉〈母〉〈タンゴ三題〉〈BANBAN〉〈食欲をそそる〉〈白い手袋〉と、先人が作った作品を現代のダンサーが踊った。さらにこの公演を特徴づけたのは、第三部に現代の振付家である平山素子、柳本雅寛による〈春の祭典〉が組み込まれ、平山と大貫勇輔によって踊られたことである。望月プロデューサーから、アーカイヴ公演が「同窓会になっちゃだめだよ」と言われたそうで、プログラムにこの〈春の祭典〉を入れたことで、観客には日本の洋舞史100年の流れがよく見え、過去を見るだけでなく、いかに現代につながるかという、公演の意図を感じ取ることができた。それは、チケットの発売開始と共に売り上げとなって表れた。第二回公演は、第一部〈機械は生きている〉〈マスク〉〈恐怖の踊り〉〈釣り人〉〈スカラ座のまり使い〉、第二部は石井みどりによる〈体(たい)〉(音楽は春の祭典)だった。

(左)稲田奈緒美氏 (右)加藤みや子氏

加藤 第一回、第二回とも、もちろんダンサーも協力的でしたが、最後はチケットを争うくらいでしたね。望月さんが最初に「ボックスオフィスで売れることがとても大切だ」と言われたけれど、その通りになりましたね。

-第一回公演では当初予定していた2日間の公演分はすぐに売り切れたため、追加公演を行った。結果的に、3回の公演の有料入場率は89.0%になった。第二回公演は2回の公演で有料入場率は88.1%。第一回、第二回ともに客席は満杯に近く、多くの観客が来場した。それでは、観客の反応はどうだったのか。

加藤 大反響でした。「どうしてこれだけの公演がこれまでなかったのか」、「モダンダンスの原点を僕たちも知らなければならない」、と現代舞踊協会と関係ない若者、いつもバレエを観ているような観客が終演後のロビーで、飛んできてくれました。古い作品でも若い人にこんなに新鮮に受け止められるのか、と感動しました。パイオニアの放った光はバレエ、モダン、舞踏といったジャンルを超えて、今も脈々と繋がっていると、実感できました。

片岡 望月さんが「新国立劇場の観客が、すごくうれしそうに、これほど満足した顔で帰るのは初めてだった」と言われたくらいです。観客は関係者だけではなかったのですが、日本の洋舞100年の歴史に触れて、日本人に誇りを持てたことが幸せだったのではないかと推測しています。

正田 でも、批評家の中には、「内輪だけで自己満足しているのではないか」、「復元する意味がない」という人もいたんですよね。

片岡 それは、再演レパートリーを否定しているということでしょうか。古典バレエの〈白鳥の湖〉は初演から100年余り経ちますが、その後いろいろなバレエ団や振付師が改訂・再演を続けて、今日に至っていますね。ピナ・バウシュも初演作品のみならず再演レパートリーをプログラムに組んできましたね。

加藤 もちろんモダンダンスは伝統的な舞踊ではないけれど、伝統的な歌舞伎だって更新されるように、お客さんを作っていくためにもレパートリーは必要だと思います。自分たちの思いだけでなく、ちゃんと作品として繋げている、海外の作品だけでなく、自分たちで切り開いていく力も、やってきた歴史もあると、伝えていかなくては。それも今でないと復元も難しくなる。

片岡 私が今教えている高校生も毎回30人くらい見に来ましたが、自分たちが今やっているダンスは、普通にそこにあるものだと思っていたけれど、公演を見て、こういう先人が創作してきた作品や獲得してきた歴史があったから、今、自分たちができるんだということがわかったようです。否定的な批評家もいらっしゃったのかと思いますが、新聞評で公演の意義を認めている批評家も多いですよ。

正田 ある批評家は、〈日本の太鼓〉を見て、「こんなのを見ているより、民俗芸能を見る方がいい」と言ったそうですが、江口隆哉の作品の品格と、民俗舞踊の荒々しさとは、そもそも比べられないものでしょう。それが見えない人はかわいそうだな、と思う。

加藤 太鼓を打ちながら踊るわけで、太鼓の音の調整など、民俗舞踊の側から見ると充分でなかったりするかもしれません。ダンス作品として見た時の時間と空間の構成は今みても新鮮でしたね。江口隆哉があの当時、民俗舞踊を取り上げて〈日本の太鼓〉を作ったアイデアが面白いのですね。西洋に学びながらアイデンティティを探していたのですね。

片岡 西洋の真似ではない、自分たちの舞踊を模索して行く中で、民俗芸能に目を向けて実験しようとした。日本という文化を背負った舞踊家の生きざまがそこにあり、舞踊家にとっても大きな課題だったし、その課題を乗り越えなければ先が見えてこなかったんじゃないかしら。

加藤 江口のソロ作品〈スカラ座のまり使い〉を第二回公演で踊った木原浩太は、ある批評家から「木原君の笑いはえげつない。江口はあんな風に笑わなかった」と言われたんです。私も可愛すぎるな、と思ったけれど、諏訪市で二度目に踊ったときは、両方とも見た方から「変わったね」と言われました。彼も江口隆哉の映像を見て思うところがあって、いろいろ研究したらしいです。大きな課題を前に、勉強になったと思います。

片岡 江口が初演した時は36歳でした。それに比べて木原君はまだまだ若いから。

正田 ある批評家は、第一回公演では、中村恩恵が踊った宮操子の〈タンゴ〉だけが良かった、と言うのよ。

片岡 良かったことは確かですよね。

正田 宮操子とは全然違いますよ。宮操子の身体性ができる人はいないから。

加藤 中村さんが「みなさんにいろんなことを言われて、私はどうしたらいいかわからないけど、ここで開いて、今まで私になかった、エンターテイメントな自分をやってみます」と楽屋でおっしゃったんですよ。

片岡 最後は、自分が宮操子の〈タンゴ〉に向き合って、自分の経験を踏まえてやる、と覚悟を決められたのですね。

加藤 宮操子と、バレエをやってきた中村恩恵がドッキングして生まれたものであって、その機会を作ったんですよね。それは小森敏の〈タンゴ〉を踊った柳下規夫にもありました。それぞれ人の好みや、そのときの感覚で、心がゆれた人もあれば、観客にもいろいろ出会いがあったんではないかな。

正田 だれが踊っても素晴らしくできる作品というのは、それはバレエですよ。モダンダンスでは、究極的にあり得ないのよ。私はそう思います。だから、自分の中でもアーカイヴをやってよかったのかどうか、実は今でも悩むんです。アーカイヴをやろうと言った張本人がこう言うのはとても矛盾してるようですけど。だって、宮操子が踊る姿が、私には染みついているから。リハーサル中に当時の宮操子を知っているみなさんが、本当にいろいろ中村さんに言ったの。それで「中村さんが思った通りにやってもらっていいんじゃないですか」って、私は言いました。

片岡 中村さんは、思ったようにされたんじゃないですか。ぎくしゃくしたところもなく、自分が解釈した〈タンゴ〉を踊られた。

正田 だからダンスはつくづく形じゃないな、と思いました。土方巽なんて誰も踊れないでしょう。

片岡 それは、作品責任者のほとんどの方が言っていることですよね。たとえば井村恭子先生は、「伊藤道郎はこうでなきゃいけない」と同門会で引き継いできたことを貫いてやりたいけどそうできない、と嘆いておられましたね。逆にがんじがらめになって指導することで、自分が問題児になってしまった。そうではなくて、今のダンサーにどう踊ってもらうか、もう少し形から解放されていいんじゃないかと思ったと、最後は言われましたね。藤井利子先生は、空間をこっちの方に移動するとか、ステップはこうとか以外には、柳下さんに何も言わなかったそうです。作品責任者の先生方は、最終的にはダンサーに委ねられたのですね。

加藤 研究部が企画して夏期舞踊大学を開催した時、その時は田中いづみさんが部長で馬場ひかりさんが副部長で、池田恵巳さんが総務的役割をしていました。ただそのまま作品を覚えるのではなく、何かを振り付けからとってリメイク、創作しようというワークを入れたんですよね。すると石井漠の〈山を登る〉で、ラセン等いろいろな登り方が、出てきた。高校生から70代までいろんなワークをしたんです。そこで、“創る”とはどういうことか?と、ちょっと考えることができた。作品と時代を考え、その隔たりと共に共感もえた。作品誕生の経過を実感したと思います。

片岡 石井かほる先生の〈マスク〉も、もともとは石井漠自身が踊った作品を、かほる先生が女性の踊りにしたんですよね。石井漠の映像には、踊りが何十秒しか残っていないですし、スクリャービン曲としか記載されていない。数あるスクリャービンの小品集から音楽監修の笠松泰洋氏とかほる先生が選曲しましたが、踊り方もまったく違います。衣装も。でも、かほる流の〈マスク〉が生まれた。石井漠の孫である石井登さんも〈マスク〉を踊りたくてしょうがなかったようです。けれど、かほる先生が「踊りたい!」と強く思われて、ある意味、違うものとして踊った。でも〈マスク〉の本質とか、漠先生の思いを引き継いで自分の〈マスク〉にした。きっと天国から漠先生が見て下さり、認めてくれるだろうと最後には思った、と言っていらっしゃいましたね。

正田 私のように宮操子のイメージが強すぎる人は、中村恩恵さんの〈タンゴ〉を見ても、見えないところがあるのかもしれない……。

片岡 宮操子を写真で見ても、あの時代に抜きんでたスタイルと身体性だったことがわかりますものね。

正田 何がすごかったか、端的に言うと、いばっている。絶対、お客さんにへいへいしない。

片岡 威厳がある、ということ?

正田 そういう人は今、いないじゃない。宮先生はいばってますね。私が尊敬するのは、やっぱり江口隆哉の方。江口先生はノーマルですよ。論理的、客観的に生徒に接する。土方巽も、はっきりしてるじゃない。大野一雄はちょっと違う。土方さんに宮操子は似てるかもしれない。唯我独尊というか。

加藤 カリスマ性。今と違って、いろんなものがないからスターが必要だった。

正田 宮先生の歩き方を、自分の身体でとても取れないの。やってみたいけど。

加藤 このアーカイヴをやったことで、舞踏のアーカイヴと大野アーカイヴとかが繋がっていくときに、そのもとにパイオニア石井漠や江口隆哉がいた、ということが歴然となってきました。

片岡 日本の現代舞踊は日本舞踊から始まっている、と言われたのはどなたでしたか?

正田 山野博大さん。

片岡 もちろん、つながりがないわけはないでしょう。日本の文化が連綿とあって、現代舞踊が生まれたのですから。

加藤 それだけ日本の現代舞踊は日本ならではの特色がある、ということだと思いますよ。

片岡 以前、郡司正勝先生がおっしゃっていたことを思い出します。「日本の現代舞踊は邦舞からではなく、日本の洋舞からうまれた」と。これに関連したことに触れますと、ダンス・アーカイヴを機に出版した『日本の現代舞踊のパイオニア』の序章で児玉竜一先生は、日本の伝統舞踊の概念が成立する以前に日本の舞踊は西洋に出会わざるを得なかった、西洋という「単なる新しいもの」を取り入れる本能に従った創作活動の混沌があり、やがて西洋本場を体験して帰ってくる者が出て、次第に事態は変わっていった。つまり最初は江戸時代には江戸の風俗をとりいれたように、明治の風俗として「西洋」という新奇な題材を取り込み、次第に伴奏にピアノ等を用いる演奏を取り入れたり、群舞を始めたり、いろいろな新しいことを試みたと書かれています。しかし、それらは新舞踊という段階に留まりました。

片岡康子氏

加藤 でも、日大や芸大の日本舞踊の創作などみると、びっくりするような体の感覚を持っている若者もいるから、今後は日本舞踊が現代の先端の舞踊を作ることもあるかもしれない。

片岡 伝統の継承は、現在の身体を通って継承されていき、また伝統になっていくのですから、ある意味同じですよね。歌舞伎の伝統だって、同じ演目をやっても、役者の肉体はすべて違うから、役者によって表現が変わることも含めて、お客さんは楽しんでいる。クラシックバレエもシルヴィ・ギエムの身体でその美学が変わりましたからね。

加藤 その後研究部から枝分かれした研究企画部では、2013年から諏訪市で子供のためのダンスワークショップと2014年から作品責任者の許可を取りアーカイヴ公演のソロの鑑賞会も加えているんです。去年は研究企画部に時田ひとしさんがいたから〈ピチカット〉を上演、今回は馬場ひかりさんがいたので〈母〉と、木原浩太が〈スカラ座のまり使い〉を上演した。それを観ていた諏訪市の生涯学習課の課長さんが、「〈母〉を観て、涙が出た」…と、一方ワークショップで即興でウエイブをおどるダンサーに、「こういうダンスをみんなに見せたい!」と、言われました。一般の人の中に、新しいものを観る感性も、古い再生のものを観る感性も、両方持っている人がいるんですよね、観る人の目を信じて、やって行くしかないかなと思いました。

片岡 夏期舞踊大学2013で山田奈々子先生に高田せい子の〈母〉を指導して頂き、最後に受講生みんなで、女性だけではなく男性も〈母〉を踊った。パフォーマンスが終わると、ものすごい拍手が起きましたよね。それぞれの人に“母”が必ずある。その“母”に、この作品を通して触れることができたのだと思います。公演後の2015年11月には、指導をされた奈々子先生ご自身が、あうるスポットで〈母〉を踊られたんですよね。

正田 指導された方が踊る、と期待しながら見ました。

加藤 奈々子先生がワークショップの中でみんなに教えてくれたあの瞬間は、こだわりがあって、手の動き一つとっても、みんなにビンビンきましたものね。

片岡 高校生たちには、毎回、感想を書かせたのですが、ダンス・アーカイヴ公演を見て、「これから一生踊りを続ける自分のルーツに出会った」と中々のことを感じとっている生徒がいました。意識が変わったと思います。それから、第二回公演の石井みどり作品〈体〉を見て、「エネルギーを出すってこういうことか」ってわかった、と書いていましたね。ドラマを演じる〈スカラ座のまり使い〉や〈釣り人〉。そういう演技的な作品の面白さに対して、体のエネルギーをぶつけて踊るっていうのはこういうことか、体のエネルギーはここまでだせるのかと書いていました。かほる先生の〈マスク〉にも驚いていました。10代の子が、かほる先生の年齢まで自分も踊り続けたいって。年齢を越えて、あそこまで自分の〈マスク〉を踊っていたかほる先生を見ていて、そう思えたんですよ。若い人たちが過去の作品の再演を見ることは、自分の現在地を知り、唯一無二の自分の舞踊を掴むためにも大事ですね。

加藤 自分にはこれしかできない。どんなに周りが言っても、という〈マスク〉。研ぎ澄まされていましたね。

正田 そうですね、それがありましたね。舞踊家としての向かい方。どう自分が向き合うか。

加藤 大学生も高校生と変わらないかもしれないけど、こんなところに原点があったのか、と一つ一つ作品を挙げながら、シンプルな、音楽との関係に感動した等書いていました。自分たちの元を知っているつもりだったけど知らなかった、とか。すごく大きいんじゃないかな。夏期舞踊大学を受けた学生は、自分が踊った踊りが、こんな風に表現されるのか、って驚いたみたいです。

片岡 夏期舞踊大学を受けた生徒たちは、作品を教えて頂いたので、見ながら体が反応したと。からだが動いたんですね。教えてもらった〈恐怖の踊り〉が、装置があって照明が当たった舞台ではこうなるのか、と驚いたようです。

-この企画の意義と成果を、三人の企画運営者がたっぷり語って確認し、最後に今後の予定が語られた。

正田千鶴氏

正田 《ダンス・アーカイヴin JAPAN》は、今のところ第三回目の予定はないけれど、《江口・宮アーカイヴ プロメテの火》公演が今年5月に開催されます。2020年の東京オリンピックで〈プロメテの火〉が上演されるといいなあ。でも、江口先生にしても、宮先生にしても、自分のソロを誰かに踊られたら、ものすごく激怒しているか、ものすごく喜んでいるか、どちらかだと思います(笑)。いずれにしても、現実化していくことは続けていかなきゃならないですね。

(2016年1月18日、現代舞踊協会オフィスにて)

正田千鶴 しょうだ・ちづ ダンス・アーカイヴ in JAPAN企画運営委員会代表
正田千鶴モダンダンスフラグメント主宰。江口隆哉・宮操子に師事。作品の数々は、舞踊批評家協会賞、芸術祭優秀賞、ニムラ舞踊賞等の評価を得る。日本初演後、ギリシャ・アテネフェスティバルで上演された〈空間の詩学〉は、新国立劇場主催ダンステアトロンで改訂再演される。現代舞踊協会研究部担当常務理事として2009年から「ダンスDNAとコンテンポラリーな身体-現代舞踊のパイオニアに学び、クリエーションの世界を探る」とする講座シリーズを提唱、推進。《ダンス・アーカイヴin JAPAN》企画に繋がる。

片岡康子 かたおか・やすこ 同上 副代表
DANCEHOUSE主宰。幼少よりバレエを黒沢智子に師事、モダンダンスを江口隆哉、正田千鶴、三条万里子に師事。数多くの自主公演及び20世紀現代舞踊史の研究を経て、2009年から正田千鶴常務理事のもと現代舞踊協会研究部に関わり《ダンス・アーカイヴin JAPAN》企画を推進。文部科学省学習指導要領改訂協力委員及び(社)日本女子体育連盟理事長として、舞踊教育、特に創作ダンスの振興・普及に貢献。主要著書に『舞踊学講義』『20世紀舞踊の作家と作品世界』『日本の現代舞踊のパイニア』他。松山バレエ団顕彰「教育賞」受賞。お茶の水女子大学名誉教授。

加藤みや子 かとう・みやこ 同上 副代表
加藤みや子ダンススペース主宰。森嘉子、藤井公・利子に師事。東京創作舞踊団主要ダンサーとして活躍後、独立。仏・バニョレコンテ、伯・巡回公演(国際交流基金主催事業)、米・フェスティバル巡演等に招聘され高く評価される。1983年よりアネックス仙川ファクトリーを拠点に各地で五感を拓くワークショップやアーティスト交流の場、Hot Head Works〈ダンス=人間史〉を開催。これが現代舞踊協会研究部への参画と《ダンス・アーカイヴin JAPAN》の企画推進に繋がる。江口隆哉賞、ニムラ舞踊賞、舞踊批評家協会賞、他受賞。現代舞踊協会常務理事。日本大学芸術学部演劇学科非常勤講師。

参考:夏期舞踊大学講座「現代舞踊のパイオニアに学び、クリエーションの世界を探る」記録 (第1回~第6回)

日時
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会場
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現代舞踊協会主催:研究部企画
「現代舞踊のパイオニアに学び、クリエーションの世界を探る」と銘打ち、毎年1~2名のパイオニアを取りあげ、その理念や仕事、人となりを、学究的な立場や実際にこの人物達に接した舞踊家達の立場の2つの側面から、シンポジウムとワークショップによって立体的に再評価。その価値を次世代に受け継ぎ、新たな創造を喚起しようとしたものです。受講者達は10代、20代が多く、新鮮に受け止め、熱心に臨む姿が見られました。

夏期舞踊大学講座「現代舞踊のパイオニアに学び、クリエーションの世界を探る」記録 (第1回~第6回)

第1回 2009・08・15―16  石井漠(1886-1962)
国立オリンピック記念青少年総合センター リハーサル室・小ホール
第1日目(8月15日)
・シンポジウム「日本の現代舞踊を辿る」(講師:北井一郎 山野博大 司会:片岡康子)
・レクチャー・デモンストレーション
講師 石井かほる「石井漠の舞踊とその実際」
お話し:石井漠の指導法と作品の実際など
『山を登る』(初演1925)を課題としたグループ創作(受講生による)
・ステージでのショーケース(監修:正田千鶴)
講座成果作品発表

第2回  2010・08・14―15  江口隆哉(1900-1977)
国立オリンピック記念青少年総合センター 第4体育室・小ホール
第1日目(8月14日)
・シンポジウム「日本の現代舞踊を辿る」(講師 山野博大 桑原和美 司会:片岡康子)
・レクチャー・デモンストレーション
講師 金井芙三枝「江口隆哉の舞踊―人間性とその実際」
江口隆哉の基本運動 『スカラ座のまり使い』(初演1949)『プロメテの火』(初演1950)『プロメテの火』第3景 火の歓喜を課題にした創作(受講生による)
第2日目(8月15日)
・ワークショップ
講師 正田千鶴「江口隆哉から学んだもの」
・ステージでのショーケース
講座成果作品発表

第3回   2011・08・27―28  津田信敏(1910-1983) 邦正美(1908-2007)
国立オリンピック記念青少年総合センター リハーサル室・第4体育室
第1日目(8月27日)
・シンポジウム「日本の現代舞踊を辿る」(講師:山野博大 若松美黄  旗野恵美  能藤玲子)
・ワークショップ①
講師 若松美黄「津田信敏と絶対舞踊―舞踊こそ絶対であり、すべての芸術の根源だ」
第2日目(8月28日)
・ワークショップ
講師 旗野恵美 能藤玲子「邦正美 空間的舞踊創作の原点と踊るからだの育成」
・ワークショップ②
講師 旗野恵美「空間を課題としたシンメトリー形式による創作」
・ワークショップ③
講師 能藤玲子「舞踊のための身体育成法」と『黄色い時間』(初演1959)一部復元第

4回   2012・08・18―19  小森敏(1887-1951) 檜健次(1908-1983)
国立オリンピック記念青少年総合センター リハーサル室・401号室
第1目(8月18日)
・ワークショップ①
講師 藤井利子・上原尚美「小森敏のこだわり レパートリーとその展開」
・ワークショップ②
講師 石川須姝子・ケイタケイ「檜健次の舞踊とその人間性から学んだもの」
第2日目
・シンポジウム「日本の現代舞踊を辿る」講師 藤井利子  石川須姝子  ケイタケイ  山野博大 司会:片岡康子
・歴史を辿って今をとらえるグループワーク

第5回   2013・08・17―18  伊藤道郎(1893-1961) 高田せい子(1895-1977)
国立オリンピック記念青少年総合センター 第4体育室
第1目(8月17日)
・ワークショップ①
講師 井村恭子「代表作『ピチカット』を中心に伊藤道郎の動きの世界を体験」
・ワークショップ②
講師 山田奈々子「高田せい子のメソードと、名作『母』の動きの世界を体験」
第2日目(8月18日)
・シンポジウム「日本の現代舞踊の歴史を辿り、舞踊創作法を学ぶ」
講師 井村恭子 山田奈々子 片岡康子
・ワークショップ③
講師 井村恭子 山田奈々子 馬場ひかり「舞踊家の身体トレーニングと表現法」

第6回   2014・08・30―31  執行正俊(1908-1989) 石井みどり(1913-2008)
国立女性教育会館(NWEC) 体育館
第1目(8月30日)
・ワークショップ①
講師 執行伸宜「執行正俊の動きの世界」ボディートレーニングと『恐怖の踊り』レパートリーワーク
・ワークショップ②
講師 折田克子「石井みどりの動きの世界」 石井みどりメソードと『体』レパートリーワーク
第2日目(8月31日)
・シンポジウム「日本のモダンダンスの歴史を辿り、舞踊創作法を学ぶ」
講師 執行伸宜 折田克子 片岡康子
・ワークショップ③講師 折田克子「舞踊家の身体トレーニングと表現法」
・『恐怖の踊り』『体』リハーサル・発表

・ステージでのショーケース(監修:正田千鶴)

講座成果作品発表

振付家プロフィール(生年順)

日時
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会場
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石井 漠 (1886-1962)Ishii Baku
1886年、秋田県山本郡下岩川村に生まれる。1911年、帝劇歌劇部員第1期生。1915年、帝劇を離れる。山田耕筰に勧められて新舞踊の研究を続け、1916年、舞踊詩《日記の一頁》、《明闇》他を発表。1922年、渡欧して欧米の主要都市を巡演。《囚われたる人》《マスク》他を発表。肉体とリズムの統合による純粋舞踊を模索する。1925年帰国後、国内巡演に力を注ぎ、戦後は全国展開をする。《食欲をそそる》《白い手袋》《山を登る》《マスク》、大群舞《さまよえる群像》《機械は生きている》《人間釈迦》他を発表して日本の洋舞界を牽引。著書には『舞踊芸術』、『舞踊の基本と創作』他がある。

小森 敏(1887~1951)Komori Toshi
1887年尼崎市に生まれる。1907年東京音楽学校へ進学。1911年、帝劇歌劇部員第一期生となり、16年、山田耕筰と小山内薫の新劇場に参加。17年、ニューヨークに渡り、伊藤道郎、山田耕筰らと公演を行う。21年、パリに移りダルクローズ学院に入学後パリ・デビュー。帰国までヨーロッパ各都市を巡演、《北斎》《サムライの死》が好評を博す。36年、帰朝公演開催、《モーゼの死》《ガヴォット》《春》《タンゴ》他上演、柿木坂に東京舞踊学校開設。47年、小森敏・小森譲ジョイント・リサイタル。その他に《ジプシーの踊り》、《寺院の庭》等がある。

伊藤道郎(1893~1961)Ito Michio
1893年、東京神田三崎町に生まれる。1912年渡欧。13年、ダルクローズ学院入校。16年、ロンドンにてイエ―ツ原作《鷹の井戸》振付・出演。16年9月NY初リサイタル。その後NYを拠点に活躍、日本人ながらアメリカモダンダンスの草分けの一人と称される。ミュージカルやハリウッド映画にも進出。43年、帰国。44年、伊藤道郎舞踊芸術研究所設立。45年、アーニーパイル劇場の顧問・芸術監督(-1955)。主要作品には《鷹の井戸》《ピチカット》《タンゴ》《音の流れ》《ローテスランド》、《小さな羊飼い》他。著書には『アメリカ』他がある。

高田せい子(1895~1977)Takata Seiko
1895年、石川県金沢市に生まれる。1912年、東京音楽学校入学。1914年帝劇洋劇部員(後に1期生に編入)、18年、高田雅夫と結婚。22年、夫とともにアメリカに出発。NYで「名舞踊家の夕べ」に出演。ヨーロッパ諸国巡業を経て24年帰国、高田舞踊研究所開設。29年、高田雅夫死去。以後、詩的現象を身体と音楽との融合により女性らしい感覚で表現する新作を意欲的に発表。主要作品には《香を捧げる女》《アニトラ》《黙想》《孔雀》《怨恨》《母》、劇的大作《湖底の夢》《石像と花と女》《炎も星も》」《海のバラード》《沈黙の苑》他がある。

江口隆哉(1900~1977)Eguchi Takaya
1900年、青森県上北郡野辺地町に生まれる。1929年、高田雅夫・せい子舞踊研究所団員になり初舞台を踏む。31年、宮操子と結婚後ドイツに留学。33年、マリー・ヴィグマン舞踊学校にて学ぶ。同年、ベルリンのバッハザールでリサイタルを開催し《手術室》他を発表。帰国後、江口・宮舞踊研究所を設立。《スカラ座のまり使い》、《プロメテの火》、《日本の太鼓》など、多彩な作品を発表して洋舞界に旋風を巻き起こす。また確立した舞踊創作理論によって多くの舞踊家を育成し、現代舞踊の礎を築いた。著書には『舞踊創作法』他がある。

宮 操子(1907~2009)Miya Misako
1907年、岩手県盛岡市に生まれる。1924年高田雅夫・せい子舞踊研究所入所。高田主催公演に出演すると共に自作《紅の月に寄せて》を発表。1931年、師の名作《死の舞踏》を江口隆哉と踊る。31年、江口と結婚後ドイツに留学。33年ヴィグマン舞踊学校にて学ぶ。同年、ベルリンのバッハザールで江口とリサイタルを開催し《タンゴ》を発表。帰国後、江口と意欲的に舞踊活動を展開し数々の名作を発表。65年よりダンスグループ宮の公演を開催し、新作群舞《地図》を発表。著書には『みちゃ子が行くー踊った、生きた、冒険した』(2004年)他がある。

檜 健次 (1908~1983)Hinoki Kenji
1908年、徳島県撫養に生まれる。1929年大阪音楽大学師範科入学、在学中に大阪に舞踊研究所を設立して舞踊活動を始める。32年、上京して初リサイタルを開催すると共に研究所設立。36年渡米。ルース・セント・デニス舞踊研究所にて交換教授をする傍ら、全米50数か所にて独舞展を行い、《習作―狂態》《枯蘆》を初演。38年帰朝公演。日本人の踊る日本人の踊りを提唱し《釣り人》《雪の夜語り》《BANBAN》等を発表。その他主要作品には《人間の黄昏十章》《神の座》《原始からの挑戦 呆・嘆・怒》等がある。著書には『舞踊論ノート』がある。

執行正俊(1908~1989) Shigyo Masatoshi
1908年、福岡県大川市に生まれる。東洋音楽学校にてピアノと作曲を学ぶ。在学中にヨーロッパ巡演から帰国した石井漠・小浪の舞踊リサイタルを見て音楽の心と舞踊の心が結ばれた作品を創作する舞踊家になることを決心する。30年に渡欧してバレエ、スペイン舞踊を学び、31年にマリー・ウィグマン舞踊学校に入学する。32年、ベルリンでリサイタルを開催し、アルヘンティーナに感銘を受けて創作した《恐怖の踊り》他を上演。帰国後スタジオを開設、数多くの公演を開催すると共に多くの舞踊家を輩出した。著書に『華麗なる輪舞』がある。

石井みどり(1913-2008) Ishii Midori
1913年、栃木県宇都宮市日野町に生まれる。29年、石井漠舞踊研究所入所。30年、漠の相手役に抜擢され、アニトラを踊る。35年、自作《涯しなき幻覚》《真紅の薔薇》他発表。36年独立。戦後、車4台で4年間全国縦断公演をするなど地方に力を注いだ活動と国内外での公演を精力的に展開。主要作品には日本の民族舞踊を素材にした《八月踊り》《郡上節》、照明と舞台美術の効果を駆使した独自の群舞《打楽器による三章》《体》《ブランデンブルグ・コンチェルト》《魂魄》《夢》他がある。著書に『よく生きるとは、よく動くこと』がある。

上演プログラム2 ダンス・アーカイヴ in JAPAN 2015

日時
.2015年3月7日(土) 開演15:00、8日(日) 開演15:00
会場
.新国立劇場中劇場

第一部
「機械は生きている」     Machines Are Alive(1948年)
「マスク」   Mask(1923年)
「恐怖の踊り」     Dance of terror(1932年)
「釣り人」     Angler(1939年)
「スカラ座のまり使い」     Playing with a ball at La Scala (1935年)
第二部
対談「ダンス・アーカイヴ in JAPANについて」片岡康子(お茶の水女子大学名誉教授)×森山開次(舞踊家)
「体(たい)」     Body(1961年)

第1部
1.「機械は生きている」     Machines Are Alive(1948年初演)
機械いじりが大好きだった漠は、1932年に文明社会への批判をこめてだろう《機械と人間》を発表している。しかし《機械は生きている》は物語性を排した構想で、戦後復興への期待をこめて創作されたと考える。今回は天国の先生と打ち合せながら、スピードを変化することで現代化を試みた。

振付/音楽:石井 漠    Choreography/Music:Ishii Baku
作品責任者:石井かほる/石井 登     Staged by : Ishii Kaoru / Ishii Noboru

効果音楽:河田康雄 Ambient music:Kawata Yasuo
打楽器演奏:加藤訓子 Percussionist :Kato Kuniko
出演:石井   登/安達   雅/石井   咲/上野 琴乃/江藤裕里亜/大森 香菜/大森ゆりか/小倉 美樹/金井 睦月/栗原美沙都/桑原佳乃子/小林 千耀/斉藤稚紗冬/齊藤 理絵/佐々木礼子/四戸由香/柴草  涼/杉山佳乃子/高宮  梢/高村ひかり/滝本彩和子/平野彩夏/真野  忍/吉垣恵美/依田響木/石井  武/工藤史皓/澁谷智志   Dancers : Ishii Noboru/Adachi Miyabi/Ishii Saki/Ueno Kotono/Eto Yuria/Omori Kana/Omori Yurika/Oguri Miki/Kanai Mutsuki/Kurihara Misato/Kuwahara Kanoko/Kobayashi Chiaki/Saito Chisato/Saito Rie/Sasaki Reiko/Shinohe Yoshika/Shibakusa Ryo/Sugiyama Kanoko/Takamiya Kozue/Takamura Hikari/Takimoto Sawako/Hirano Ayaka/Mano Shinobu/Yoshigaki Emi/Yoda Hibiki/Ishii Takeru/Kudo Fumiaki/Shibuya Satoshi

2.「マスク」     Mask(1923年初演 ベルリン)
《マスク》は<表現派風舞踊詩>と明記されている。20世紀初頭ドイツを中心に興隆した芸術思潮を鋭く感受したと見られる極端に歪曲化した強烈な動きから読みとれるのは<歓喜と悲哀>の表現である。

振付・衣裳デザイン:石井 漠
Choreography/Costume:Ishii Baku
音楽:アレクサンドル・スクリャービン「2つのダンスop.73-1花飾り」「練習曲op.08-2」 Music:Alexander Scriabin “2 Danses op.73 Guirlands””Etude op.08-2”
使用音源(演奏):ウラジーミル・ソフロニツキー「2つのダンスop.73-1」スヴァトスラフ・リヒテル「練習曲op.08」Played by Vladimir Sofronisky(op.73) Sviatoslav Richter(op.08)

作品責任者:石井かほる     Staged by : Ishii Kaoru

音楽監修:笠松泰洋 Music Advisor:Kasamatsu Yasuhiro
衣裳製作:宮村泉     Costume executed by:Miyamura Izumi
出演:石井かほる     Dancer:Ishii Kaoru

3.「恐怖の踊り」    Dance of terror(1932年初演 ベルリン)
《恐怖の踊り》はスペインの有名な作曲家マヌエラ・デ・ファリャ作曲のバレエ音楽「恋は魔術師」の中の同名の音楽を使用。情熱的な未亡人であるカンデラが前夫の亡霊に悩まされて踊る「恐怖の踊り」を見て、この踊りを男性の踊りとして表現したいと創作した。

振付・衣裳デザイン:執行正俊 Choreography/Costume:Shigyo Masatoshi
音楽:マヌエル・デ・ファリャ・イ・マテウ「恋は魔術師」より「恐怖の踊り」     Music:Manuel de Fally y Matheu “Danza del terror”~extract from”El amor brujo” 
使用音源(演奏):カルロ・マリア・ジュリーニ指揮/フィルハーモニア管弦楽団Played by : Carlo Maria Giulini / The Philharmonia Orchestra

作品責任者:執行伸宜     Staged by:Shigyo Nobuyoshi

衣裳製作:ロージュA くろさわ彩 Costume executed by : Loge-A Kurosawa Aya
出演:小林洋壱 Dancer:Kobayashi Yoichi

4.「釣り人」    Angler(1939年初演 仁壽講堂)
釣り逃がした魚は大きい、という釣り人の心理を諧謔的に表現した作品である。「日本人による日本人の踊り」を提唱した健次は、伝統からにじみ出た趣のある日本の叙情の世界を作品化しようと試みた。

振付:檜 健次     Choreography:Hinoki Kenji
音楽:宇賀神味津男     Music:Ugajin Mitsuo
演奏:河内春香(pf)     Pianist:Kawachi Haruka

作品責任者:石川須姝子     Staged by:Ishikawa Suzuko

作品補佐:田中いづみ Staging Assistant:Tanaka Izumi
ダンスミストレス:桐山良子 Dance Mistress:Kiriyama Yoshiko
衣裳製作:蔵来芸舞瑠 高野ノリエ Costume executed by:Clark Gable/Takano Norie
出演:片岡通人     Dancer:Kataoka Michito

5.「スカラ座のまり使い」~3つのバージョンでの上演~   Playing with a ball at La Scala (1935年初演 大阪朝日会館)
まりを自在に操るピエロのマイム的動きの中に、滑稽かつ哀愁の表情が見える江口のソロ代表作であり、観客を魅了した人気作品。今回、3つのバージョンでの上演にあたり、明確な表現の違いを生み出す個性と力量を有する踊り手を選んだ。
振付:江口隆哉      Choreography:Eguchi Takaya
音楽:フランツ・シューベルト「2つのスケルツォ」D593 Music:Franz Schubert”Scherzi”D593
演奏:河内春香(pf)     Pianist:Kawachi Haruka

作品責任者:金井芙三枝     Staged by:Kanai Fumie

協力:ヨネヤマママコ 砂川啓介 Acting Advisors:Yoneyama Mamako  Sagawa Keisuke
ダンスミストレス:松本直子 吉垣恵美 Dance Mistresses:Matsumoto Naoko  Yoshigaki Emi
衣裳・美術:江頭良年 Costume & Décor:Egashira Yoshitoshi
衣裳製作(Ⅱ):金子澄世 Costume(II)executed by:Kaneko Sumiyo
マネジメント:蔭山けい子 Management:Kageyama Keiko
出演     Dancers
Ⅰ再現版 木原浩太 Original version:Kihara Kota  
Ⅱ日本舞踊家版 西川箕乃助  Nihon Buyo version:Nishikawa Minosuke    
Ⅲデュエット版 佐藤一哉/堀 登    Duo version:Sato Kazuya/Hori Noboru

第2部
「体(たい)」     Body(1961年初演 厚生年金会館大ホール)
「《体》は、言葉にとらわれる事なく、自由に私の生命賛歌として生まれました。宇宙・自然・人間は全ての流れの中に生きる命です」(石井みどり)
初演から半世紀を経て、文化・文明のバランスが狂いつつある現況。今でこその新たな発見をしつつ、ダンサー全員が”みどりイズム”に挑戦しました。

振付:石井みどり Choreography:Ishii Midori
音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー「春の祭典」     Music:Igor Stravinsky”The Rite of Spring”    
使用音源(演奏):ゲオルグ・ショルティ指揮/シカゴ交響楽団 Played by:Georg Solti / Chicago Symphony Orchestra

作品責任者:折田克子 Staged by:Orita Katsuko

ダンスミストレス:手柴孝子     Dance Mistress:Teshiba Takako
装置・衣裳:前田哲彦     Designs:Maeda Tetsuhiko
装置製作:ユニ・ワークショップ     Scenery executed by:Uni-Workshop
衣裳製作:前田哲彦 / 並河万里子     Costumes executed by:Maeda Tetsuhiko / Namikawa Mariko
出演:酒井はな/佐々木大/青木香菜恵/上原杏奈/大橋美帆/小倉藍歌/北島 栄/小堀秀子/ジョンカス山岡有美/関口淳子/高 瑞貴/高橋あや乃/田中朝子/土屋麻美/西園美彌/沼田万里子/幅田彩加/東泉雪絵/藤井彩加/藤田恭子/船木こころ/堀米優子/松永茂子/宮田 幸/米沢麻祐子/飯塚友浩/大前裕太郎/木許惠介/坂田尚也/鈴木泰介/高比良洋/土田貴好/能見広伸/林 敏秀/水島晃太郎/山本 裕 Dancers:Sakai Hana/Sasaki Dai/Aoki Kanae/Uehara Anna/Ohashi Miho/Ogura Aika/Kitajima Sakae/Kobori Hideko/Joncas Yamaoka Yumi/Sekiguchi Junko/Taka Mizuki/Takahashi Ayano/Tanaka Asako/Tsuchiya Mami/Nishizono Miya/Numata Mariko/Habata Ayaka/ Higashiizumi Yukie/Fujii Ayaka/Fujita Kyoko/Funaki Kokoro/Horigome Yuko/Matsunaga Shigeko/Miyata Miyuki/Yonezawa Mayuko/Iizuka Tomohiro/Omae Yutaro/Kimoto Keisuke/Sakata Naoya/Suzuki Taisuke/Takahira Yo/Tsuchida Takayoshi/Nohmi Hironobu/Hayashi Toshihide/Mizushima Kotaro/Yamamoto Yu

スタッフ
照明:杉浦弘行 Lighting :Sugiura Hiroyuki
音響:河田康雄 Sound: Kawata Yasuo
舞台監督:柴崎 大 Stage Manager :Shibasaki Dai
舞台監督助手:小林裕二/田村 要/松島千裕 Assistant stage manager: Kobayashi Yuji, Tamura Kaname, Matsushima Chihiro

舞台・照明・音響操作 Stage, Lighting, Sound Crew:
新国立劇場技術部 New National Theatre Technical Department    
シアターコミュニケーションシステムズ Theater Communication Systems    
アート・ステージライティング・グループ ART・STAGELIGHTING・GROUP    
フリックプロ Flic Pro    
小林正人 (舞台)/田中弘子(照明)/河原田健児(音響)/照沼隆広 (大道具) Kobayashi Masato (Stage) /Tanaka Hiriko(Lighting)/Kawarada Kenji(Sound)/Terunuma Takahiro(Master Carpenter)

芸術監督:大原永子  Artistic Director : Ohara Noriko
制作:新国立劇場  Produced by New National Theatre, Tokyo

制作協力:(一社)現代舞踊協会  Collaborated with CONTEMPORARY DANCE ASSOCIATION of JAPAN(CDAJ)

ダンス・アーカイヴ in JAPAN(DAiJ)企画運営委員会:正田千鶴 Shoda Chizu/片岡康子 Kataoka Yasuko/加藤みや子 Kato Miyako/妻木律子 Tsumaki Ritsuko/波場千恵子 Haba Chieko/池田恵巳 Ikeda Megumi

上演プログラム1 ダンス・アーカイヴ in JAPAN ― 未来への扉 ―

日時
.2014年6月6日(金)19時、7日(土)15時、8日(日)15時
会場
.新国立劇場中劇場

第一部
「日本の太鼓」(1951年)

第二部
本公演の企画について・・・企画運営委員・片岡康子(お茶の水女子大学名誉教授)

「ピチカット」(1916年)
「母」(1938年)

「タンゴ」三題(1927/1936/1933年)
「BANBAN」(1950年)
「食欲をそそる」(1925年)
「白い手袋」 (1939年)
第三部
「春の祭典」(2008年)

第1部
「 日本の太鼓 」The Drumming of Japan (1951年初演 日比谷公会堂)
格調高く、勇壮に、古来の芸能が現代に息づく岩手に伝わる郷土芸能「鹿踊り」を取材し創作された
第一章    八ッの鹿の踊り
第二章    女鹿かくし
第三章    二ッの鹿の踊り
第四章    八ッの鹿の踊り

振付:江口隆哉(1900-1977) Choreography:Eguchi Takaya
音楽:伊福部  昭 Music :Ifukube Akira
▼使用音源(モノラル録音)
演奏:上田仁指揮/東宝交響楽団(現・東京交響楽団)
1950年代に江口・宮舞踊団が地方公演で使用したものMonaural Recording, Played by: Toho Symphony Orchestra, Conducted by Ueda Masashi

作品責任者:金井芙三枝 Staged by :Kanai Fumie

装束デザイン:河野国夫 Costumes :Kono kunio
監修:三上弥太郎/池田瑞臣 Supervisor :Mikami Yataro/Ikeda Mizuomi
ダンスミストレス:吉垣恵美/松本直子 Dance Mistresses:Yoshigaki Emi/Matsumoto Naoko
所作指導:西川箕乃助 Acting Advisor :Nishikawa Minosuke
マネジメント:蔭山けい子 Management :Kageyama Keiko
装束修復:江頭良年       Costumes executed by: Egashira Yoshitoshi
ササラ作製:及川喜孝(金津流鶴羽衣鹿踊保存会)岩澤豊 Sasara executed by:Oikawa Yoshitaka/Iwasawa Yutaka
着付け:金子澄世    Fitting Consultant: Kaneko Sumiyo
協力:日本大学芸術学部/岩手県奥州市教育委員会歴史遺産課/坂本秀子舞踊団/江口・宮同門会 Cooperation: Nihon University College of Art/Oshu City/Sakamoto Hideko Dance Company/Eguchi& Miya Alumni association
出演:(親鹿)大神田正美/(女鹿)坂本秀子/長谷川秀介/岩澤豊/木許惠介/山本裕/髙橋純一/鈴木泰介  Dancers:Ookanda Masami/Sakamoto Hideko/Hasegawa Shusuke/Iwasawa Yutaka/Kimoto Keisuke/Yamamoto Yu/Takahashi Junichi/Suzuki Taisuke

第2部
1.「 ピチカット 」Pizzicati(1916年初演 New York・COMEDY)
一点に立って上半身の動きのみで踊る、単純化の極致にダンスの本質が見える。
上半身の動き(10ジェスチュアー)はダルクローズのリトミックから道郎が考案した。

振付:伊藤道郎(1893~1961)  Choreography:Ito Michio
音楽:レオ・ドリーブ バレエ「シルヴィア」より「ピチカット」   Music:Leo Delibes“Pizzicati” from Ballet“Sylvia”

作品責任者:井村恭子 Staged by :Imura Kyoko

作品補佐:柏木久美子 Staging Assistant:kashiwagi kumiko
衣裳製作:並河万里子 Costume executed by: Namikawa Mariko
演奏:杉山麻衣子(vl)  阿部篤志(pf)   Played by: Sugiyama Maiko(vl.) /Abe Atsushi (pf.)
出演:時田ひとし(6・7日)/妻木律子(8日) Dancers :Tokita Hitoshi(6,7th)/Tsumaki Ritsuko(8th)

2.「 母 」Mother (1938年初演)(日比谷公会堂)
我が子を愛おしむ母の優しさ、強さ、祈りを表現した情感あふれる踊り

振付:高田せい子 Choreography:Takata Seiko
音楽:フレデリック・ショパン 練習曲Op.10-3「別れの曲」 Music: Frederic Chopin Etude Op.10-3「La Chanson de l’Adieu」

作品責任者:山田奈々子 Staged by : Yamada Nanako

衣裳製作:並河万里子  Costume executed by:Namikawa Mariko
演奏:今川裕代(pf)  Pianist: Imagawa Hiroyo
出演:加賀谷香 (6・7日)/馬場ひかり(8日) Dancers: Kagaya Kaori(6,7th)/ Baba Hikari(8th)

3.タンゴ三題 Tango Torilogy
19世紀後半にアルゼンチンで生まれたタンゴは1910年代後半にはヨーロッパで流行した。
時代を魅了したタンゴマエストロの名曲にのって鮮やかに3者競演

演奏:阿部篤志(pf)  Pianist: Abe Atsushi

① 「 タンゴ 」(1927年初演 New York・JOHN GOLDEN)
振付:伊藤道郎  Choreography:Ito Michio
音楽:イサーク・アルベニス「Tango in D」 Music: Isaac Albéniz

作品責任者:井村恭子  Staged by :Imura Kyoko

作品補佐:柏木久美子  Staging Assistant : kashiwagi kumiko
衣裳製作:鳥海恒子  Costume executed by:Toriumi Tsuneko
出演:武石光嗣  Dancer: Takeishi Terutsugu

② 「 タンゴ 」(1936年日本初演 仁寿講堂)
*1920年代にパリで初演したと推察される
振付:小森 敏(1887~1951)  Choreography:Komori Toshi
音楽:イサーク・アルベニス「Tango in D」  Music: Isaac Albéniz

作品責任者:藤井利子  Staged by :Fujii Toshiko

衣裳製作:武田晴子   Costume executed by:Takeda Haruko
出演:柳下規夫    Dancer: Yagishita Norio

③ 「 タンゴ 」(1933年初演 Berlin・BachSaar)
振付:宮 操子(1907~2009)  Choreography:Miya Misako
音楽:エドガルド・ドナート「Julian」  Music: Edgardo Donato

作品責任者:金井芙三枝   Staged by :Kanai Fumie

ダンスミストレス:吉垣恵美  Dance Mistresses:Yoshigaki Emi
衣裳監修:中田 杏  Costume advisor:Nakata Anzu
衣裳製作:江頭良年/小山令子 Costume executed by:Egashira Yoshitoshi/Oyama Reiko
協力:中田 杏/内田和子  Cooperation:Nakata Anzu/Uchida Kazuko
出演:中村恩恵  Dancer : Nakamura Megumi

4.「 BANBAN 」(1950年初演)(帝国劇場)
軽妙洒脱なリズムにうかれて思わず動きだすからだ。
リズムは命を生みだす。戦後、生と死への思索を深めた健次は、いのち、血の河、BANBAN、黒い行列ほかにより構成された「人間の黄昏10章」を発表。

振付:檜 健次 (1908-1983)       Choreography:Hinoki Kenji
音楽:宅 孝二         Music: Taku Koji

作品責任者:石川須姝子      Staged by :Ishikawa Suzuko

作品補佐:田中いづみ         Staging Assistant :Tanaka Izumi
ダンスミストレス:桐山良子      Dance Mistress:Kiriyama Ryoko
衣裳製作:蔵来芸舞留  高野ノリエ  Costume executed by:Clark Gable Takano Norie
演奏:今川裕代(pf)         Pianist: Imagawa Hiroyo
出演:島田美智子/ 関口淳子/宮本 舞/富士奈津子/青木香菜恵/森田美雪/田中朝子/池川恭平/ 木原浩太    Dancers :Shimada Michiko /Sekiguchi Junko /Miyamoto Mai/Fuji Natsuko /Aoki Kanae/ Morita Miyuki/ Tanaka Asako/ Ikegawa Kyohei/ Kihara Kota

5.「 食欲をそそる 」Whetting Appetite (1925年初演 築地小劇場)
コーヒー好きの漠、新宿の喫茶店で朝のコーヒーを楽しんでいた。
窓越しに見た、ビル建設中の掘削機が大口で土砂を飲み込んでは吐き出す作業の動きから発想を膨らませたものである。

振付/音楽:石井 漠 (1886-1962)       Choreography/Music:Ishii Baku

作品責任者:石井かほる/石井 登 Staged by : Ishii Kaoru / Ishii Noboru

衣裳製作:宮村泉  Costume executed by:Miyamura Izumi
打楽器演奏:加藤訓子       Percussionist :Kato Kuniko
出演:ハンダイズミ  藤田恭子/池田素子/土屋麻美     Dancers :Handa Izumi/ Fujita Kyoko/ Ikeda Motoko/ Tsuchiya Mami

6.「 白い手袋 」White Gloves (1939年初演 日比谷公会堂)
二人とひとり<2拍子、4拍子、3拍子のリズムが平気で抱き合ってゆく不思議な力>コケティッシュな三つ巴の乱舞。

振付/音楽:石井 漠          Choreography/Music:Ishii Baku

作品責任者:石井かほる/石井 登 Staged by : Ishii Kaoru / Ishii Noboru

衣裳デザイン:東郷青児        Costumes : Togo Seiji
衣裳製作:宮村泉  Costumes executed by: Miyamura Izumi
打楽器演奏:加藤訓子      Percussionist :Kato Kuniko
出演:(新国立劇場バレエ団)      Dancers :  (National Ballet of Japan)    貝川鐵夫/中田実里/成田遥   Kaikawa Tetsuo/ Nakada Misato/ Narita Haruka

第3部
「 春の祭典 」The Rite of Spring (2008年初演 新国立劇場)
2人きりで踊り抜く、4手ピアノ編曲版「春の祭典」

振付:平山素子/柳本雅寛 Choreography:Hirayama Motoko /Yanagimoto Masahiro
音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー  Music:Igor Stravinsky

演出/美術原案:平山素子  Direction/Original Set Design: Hirayama Motoko
美術作品協力:渡辺晃一(作品《On An Earth》より) Cooperative Set Designer:Watanabe Koichi
照明:小笠原 純    Lighting design:Ogasawara Jun
衣裳:堂本教子    Costumes : Domoto Kyoko
音楽スタッフ:杉本哲也/岩本健吾  Music staff: Sugimoto Tetsuya/Iwamoto Kengo
アンダースタディ:三輪亜希子/宝満直也 Understudy : Miwa Akiko /Homan Naoya
演奏(pf.):土田英介/篠田昌伸  Pianists :Tsuchida Eisuke/ Shinoda Masanobu
出演:平山素子/大貫勇輔  Dancers :Hirayama Motoko/ Onuki Yusuke

スタッフ
照明:杉浦弘行 Lighting :Sugiura Hiroyuki
音楽監修:笠松泰洋  Music Advisor :Kasamatsu Yasuhiro
音響:河田康雄   Sound: Kawata Yasuo
ワードローブ:塚本かな/大槻めぐみ  Wardrobe :Tsukamoto Kana/ Ootsuki Megumi
舞台監督:柴崎 大 Stage Manager :Shibasaki Dai

舞台監督助手:小林裕二/田村 要/松島ちひろ Assistant stage manager: Kobayashi Yuji/Tamura Kaname/Matsushima Chihiro
舞台・照明・音響操作 Stage, Lighting, Sound Crew:
新国立劇場技術部  New National Theatre Technical Department
シアターコミュニケーションシステムズ Theater Communication Systems
レンズ Len’s
小林正人 (舞台)/塩澤しのぶ(照明)/河原田健児(音響)/松田周作 (大道具)
Kobayashi Masato (Stage) /Siozawa Shinobu(Lighting)/Kawarada Kenji(Sound)/Matsuda Shusaku (Master Carpenter)

アーティスティック・コンサルタント:デヴィッド・ビントレー  Artistic Consultant : David Bintley

制作:新国立劇場
Produced by New National Theatre, Tokyo

制作協力:(一社)現代舞踊協会
Collaborated with CONTEMPORARY DANCE ASSOCIATION of JAPAN(CDAJ)

ダンス・アーカイヴ in JAPAN(DAiJ)企画運営委員会:正田千鶴/片岡康子/加藤みや子/妻木律子/波場千恵子/池田恵巳 Shoda Chizu/Kataoka Yasuko/Kato Miyako/Tsumaki Ritsuko/Haba Chieko/Ikeda Megumi

ごあいさつ

日時
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会場
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【ごあいさつ:2014年6月公演パンフレットより】
日本の洋舞には約100年の歴史があります。1911年の帝国劇場開場に伴い、1912年に来日したバレエ教師G・V・ローシーに手ほどきを受けた帝劇1期生と2期生、彼らと交流のあった舞踊家や弟子たちが主に洋舞の草創期を築きあげました。洋舞のパイオニアたちは欧米に渡り、胎動する新しい舞踊芸術や舞踊家に影響を受けながら、海外で従来の伝統的な日本の舞踊とは異なる日本独自の創作舞踊を次々と発表したのです。その後、帰国した舞踊家も海外に残った舞踊家もそれぞれに、時代に生きる人間の表現としての舞踊を確立しようと人生を賭して日本の洋舞界を牽引し、舞踊芸術の価値を高めました。

本公演は、100年の時を経て、パイオニアたちの名作の数々が一堂に集まって、日本の洋舞の原点を確認すると共に「今」そして「未来」を展望する、奇跡の舞台といえましょう。

一般社団法人現代舞踊協会研究部では、2009年より夏期舞踊大学講座において「現代舞踊のパイオニアに学び、クリエーションの世界を探る」シリーズを続けています。毎回、パイオニアに直結する舞踊家を招き、そのルーツとなる作品を踊り、そこからテーマを見つけてクリエーションするなどしてきました。そして、時を超えて血肉化される作品に心を揺さぶられ、感動を共有するうちに、日本の洋舞史100年の節目の時に生きた歴史を舞台化したいという思いが高まったのです。

2012年、企画運営委員会を立ち上げて奔走を始めました。幸いにも新国立劇場主催公演にラインナップが決定し、今回の第1弾に続き、2015年3月開催第2弾も決定したことは夢のようです。本日、ルーツが花開く瞬間に立ち合って頂けますことは至上の喜びであり、お力添えを頂きましたすべての方々に心より感謝を申し上げます。

ダンス・アーカイブin JAPAN 企画運営委員会 代表 正田千鶴(第1部・第2部 総合演出)

【ごあいさつ:2015年3月公演パンフレットより】
2014年6月に上演された「ダンス・アーカイヴ in JAPAN」第1弾は大きな反響を呼び、日本の洋舞100年の蓄積を一堂に蘇らせる歴史的な公演と好評を博しました。

第2弾となる当公演では、日本の洋舞史伝説の6作品を復元上演し、パイオニアたちの創造のダイナミズムに迫ります。大正から昭和初期に自作自演で初演されたソロ4作品と戦後の大群舞2作品、いずれの作品も、21世紀ならではのキャスティングにより上演します。選ばれたダンサーたちが名作の真髄に迫る多彩な舞台を繰り広げてくれると確信しております。

日本の洋舞100年の時を超えて、21世紀の舞踊芸術がますます発展することを願いますとともに、当公演開催にあたり、お力添えを頂きましたすべての方々に心より感謝を申し上げます。

ダンス・アーカイブin JAPAN 企画運営委員会 代表 正田千鶴(総合演出)

石井 登 ダンス・アーカイヴ in JAPANを終えて

DAiJ2014 石井 漠「食欲をそそる」写真1、「白い手袋」写真2/写真3
DAiJ2015 石井 漠「機械は生きている」写真4/写真5

日時
DAiJ2014 石井 漠「食欲をそそる」写真1、「白い手袋」写真2
2014年6月6日(金) 開演19:00
2014年6月7日(土) 開演15:00
2014年6月8日(日) 開演15:00

DAiJ2015 石井 漠「機械は生きている」写真3、写真4
2015年3月7日(土) 開演15:00
2015年3月8日(日) 開演15:00
会場
新国立劇場 中劇場

2014年から2015年の2年間に亘り、新国立劇場で上演された「ダンス・アーカイヴ in JAPAN」公演が大盛況のうちに終えることが出来たことは大変嬉しく、また、帝国劇場開館100年、依って日本での洋舞100年を記念すべくこの企画に携われたことを誇りに思う。

石井漠を始めとするパイオニアたちの作品を拝見すると、実に愉快で魅了させられた。それはテクニックに頼らず、試行錯誤したであろう肉体のリズムの装飾のない動きで、言葉少なく且つ最大限に観客に語りかけていたからではなかろうか。作者の表現したい思いが作品に込められ、その時の時代背景も彷彿とさせた。作品は生き物なのだ。故に作品は成長する。またそのような作品を生み出していかなければならないのだ。

石井漠作品は、石井かほる先生とご一緒に担当させて頂き、2014年に『食欲をそそる』と『白い手袋』、2015年には『機械は生きている』と『マスク』を上演した。漠作品以外の作品も同様と思うが、再現するに当たり映像は勿論写真も少なく、資料らしい資料が残っておらず、頼りになるのがその作品を実際に踊っておられた方々や、見たことのある方々の記憶だけであった。

幸いにして『マスク』以外の3作品は、「石井漠・山田耕筰生誕100年記念公演」、「石井漠没後40年記念公演」で再現されていたが、作品を仕上げるのに苦労した記憶が今も鮮明に残っている。

今回、再現作業に入る前にかほる先生との打ち合わせで、その作品の核となる表現や色合い等を損ねないように留意しながらも、ダンサーの動きや舞台状況等を鑑みながら、今の時代に合うような作品にすることを確認した。詳細については石井漠についての文献等を参照して頂くことにして、ここでは特筆すべき事だけを記述することにする。

今回、打楽器だけのメロディーのないいわゆる無音楽の作品が3作品選ばれた。石井漠は、端的に肉体の運動とリズムで表現する方法を模索しこの手法を見出した。

まず『食欲をそそる』は、ダンサー4人の作品だが、偶然にも4人中3人は石井漠の孫弟子であった。レストランで食事をしていると面白い動作をする客が現れその動きに発想を得たもので、振りはその客の仕草と銀座数寄屋橋の川底の泥を掬い上げる機械の動きを取り入れたものと云われている。踊り全般に云えることだが、力を入れてはダメ抜けていてもダメ、しかも全身の機能をフルに発揮しないと成り立たないうえに、作品の解釈もどのようにも取れるということが顕著で不思議な作品である。しかしダンサーたちは踊るのに苦労し戸惑いつつもやってのけてくれた。

次に『白い手袋』だがこれは男女の機微をうがった作品で、実に見事な構成で打楽器の入れ方も大胆でありまた極自然と違和感なく耳に入ってくる。ビジュアル的にシャープな動きを要求される振りで、試みとして新国立劇場バレエ団の3人にお願いしたが、バレエとは全く異なる振りではあったが見事に踊り切ってくれた。

『機械は生きている』は群舞で23~5名位の作品だが、ダンサー選出に当たっては公募オーディションを行ないオーディションを通った28名で構成した。通常芯に男性1人、残りは女性というものだが、今回男性が3人入り、新たに男性パートを振り付けた。この作品は、あるパンフレット(いつのものだか年月日の記述がないので判明しないが)に「機械の動きを、じっと見つめていると、何かしら話しかけようとする努力が感じられる。“心”があるもののように…。機械は生きているのだ。」とコメントがあり、題名そのままの発想から出来たものである。

もともと機械好きだった石井漠は機械の動きに発想を得た作品はいくつかある。振りも音も機械の部品が動くが如く単純過ぎるほど単純で、繰り返しばかりである。故に毎回2時間のリハーサルを如何に飽きさせないようにもっていくかを考えた。石井漠の言葉に、「踊り手は音を聞いて踊ってはならない。しかし音を分かっていないと踊れない。」というものがあり、それを実践した。音を分かってもらうため全員に交替しながら打楽器の伴奏をしてもらい、体にリズムを文字通り叩き入れてもらった。ダンサーたちはこの単純な動きの中で、表現の難しさや面白さを感じて頂いたのではないかと思う。

上記の3作品の打楽器演奏は、世界を舞台に活躍されているパーカッショニストの加藤訓子さんにお願いした。彼女はパワフルさと女性らしい繊細さを兼ね備えた素晴らしい演奏を披露してくださった。それにこちらの無理とも云える要望にも応えてくれるキャパシティの広さにも驚かされた。

『食欲をそそる』では、木魚だけを使用するのだが木魚ではなく、彼女自身が考案・製作した楽器を使用しそれ以外の新たな楽器も加えて演奏し、『白い手袋』では、通常3人で同時に2拍子・4拍子・3拍子を演奏するところを1人でこなし、更に一つ楽器を増やしての演奏、『機械は生きている』は、これも彼女所有のドラム缶を使用し、本番中に太鼓の面が割れるというアクシデントにも、ダンサーの中には音の乱れが分からない者がいたほど見事に対応してくださった。『機械は生きている』の際に彼女はアメリカツアー中で、普段私が通し稽古に伴奏をしていたのだが、彼女の手伝いをしている堀ノ内順三さんが叩いてくださり大いに助かった。

そして最後に『マスク』だが、「石井漠没後40年記念公演」の時に写真家の清水真一氏が昔に撮影された映像が届いたのだが、その中に石井漠自身が踊っている「マスク」と他に「グロテスク」が映されていた。その映像を見た我々は言葉に表せないほど驚愕しまた感激した。資料が乏しい中、石井漠自身が踊っている映像が見付かるなど思いもよらず、極めて貴重な資料と歓喜した。ただ映像には、題名とスクリャービン曲としかなく、音もなく、しかも一部しか映されてはいなかった。

今回、私も踊りたかったが、石井かほる先生が踊られた。再現するのに大変ご苦労されたであろうことは、私の想像を遥かに超えていたであろうと思う。しかし流石にかほる先生と思わずにはいられない。本来男性の踊りを女性が踊り、音も衣裳もなく勿論ほとんど振りもない状態でも見事に「石井かほるマスク」を創り上げられた。やさしく、そして内にある強さを観客に語りかけるように流暢に踊られて素晴らしかった。

ダンス・アーカイヴ in JAPANを振り返って思う事は、100年の時を超えても未だ新鮮さを失わない先人の作品に触れることができ、とても有意義な時間を過ごせたとの思いである。主旨として若いダンサー(ベテラン・中堅どころもいたが)にパイオニアたちの作品を踊ってもらうとあったが、それぞれがそれぞれに何かを感じ自分の引き出しを増やしてくれたと確信している。

最後にこの企画を立案・制作・協力してくださった、DAiJ企画運営委員会・新国立劇場・現代舞踊協会他携わって頂いた皆様と、ダンサー・演奏家・スタッフと観客の皆様に、深く感謝と敬意を表したい。ありがとうございました。

 

 

金井芙三枝  江口隆哉・宮操子 アーカイヴ公演について

DAiJ2014 宮 操子「タンゴ」写真1/写真2/写真3(2014/3/6,7,8)
DAiJ2014 江口隆哉「日本の太鼓」写真4/写真5(2014/3/6,7,8)
DAiJ2015 江口隆哉「スカラ座のまり使い」写真6/写真7/写真8/写真9/写真10/写真11(2015/3/7,8)

日時
DAiJ2014 宮 操子「タンゴ」写真1、 江口隆哉「日本の太鼓」写真2
2014年6月6日(金) 開演19:00
2014年6月7日(土) 開演15:00
2014年6月8日(日) 開演15:00

DAiJ2015 江口隆哉「スカラ座のまり使い」写真3,4,5
2015年3月7日(土) 開演15:00
2015年3月8日(日) 開演15:00
会場
新国立劇場 中劇場

☆2010年5月 江口・宮アーカイヴの始まり
江口隆哉は1900年1月21日に生まれ1977年12月25日77才で亡くなりました。宮操子は1907年4月15日に生まれ2009年5月7日102才で亡くなりました。2010年5月、宮操子の命日に泉岳寺に墓参の帰り、門下生たちが近くのおそば屋で昼食をとりながら、「三回忌に記念の会をいたしましょう。江口隆哉・宮操子の名作再現はいかがでしょう」という提案にヨネヤマママコさんの「それは江口・宮アーカイヴってことね」という発言があり、早くも会のタイトルが決まりました。

昔、江口・宮舞踊団員として踊っていた門下生たちは、今や80才か、それ以上となり、皆、ぼける寸前にきています。「やるなら今でしょ!」と意見がまとまり、その日からアーカイヴ公演にむかって突進しました。

☆2010年8月「スカラ座のまり使い」を夏期舞踊大学講座で教える
現代舞踊協会の夏期舞踊大学で、講習生に「スカラ座のまり使い」を教えるように研究部から依頼されました。

江口隆哉は器用な人で、人前で手品などをして見せるのが得意でした。そして東北人独得のペーソスとユーモアのある人でした。その個性が「スカラ座のまり使い」にぴったりとはまって彼の唯一の(ソロ作品)名作となったのです。1935年の作品ですから1分10秒ほどの不鮮明な映像が残っているだけで、あとは、私共、古い門下生の頭の中に残っている記憶をもとに再構成して教えました。

講習生の中に、江口先生の作品を私共後輩が踊るなどということは恐れ多くて憚るという発言をした人がありましたので、そういう考え方もあるのだということに気づき、振りを思い出せる限り正確に模したものと、その動きを自分流に変化させて踊るオマージュ作品とを並べて見せるのも面白いと考え、翌年のアーカイヴ公演ではそれを実現させました。

細部の動きが難しい「スカラ座のまり使い」は正確に踊れる人はいませんでしたが、講習生の中で最も江口隆哉の振りを踊りこなせた木原浩太さんを選びました。ペーソスとユーモアはちょっと不足でしたが、初演、江口隆哉35才の時なら、こんなだったかなと思えます。

☆2011年5月 初めてのアーカイヴ公演
タイトルは「宮操子三回忌メモリアル 江口・宮アーカイヴ」会場は日暮里サニーホール日時は5月14日(土)14時、18時、15日(土)14時の三回公演で演目は日本の太鼓(初演1951年)プロメテの火 第3景 ―火の歓喜―(初演1950年)スカラ座のまり使い(初演1935年、江口隆哉)タンゴ(初演1933年、宮操子)春を踏む(初演1943年、宮操子 振付 江口隆哉)

☆2014年6月「日本の太鼓」「タンゴ」  新国立劇場 ダンス・アーカイヴ in JAPAN Ⅰ
「日本の太鼓」は、江口隆哉の三回忌の時に(1979年2月6日 於:郵便貯金ホール(現在のメルパルクホール))西田堯、池田瑞臣等によって上演されたビデオがあったので、2011年のサニーホールは、1979年版を見て振りを起こし上演しました。2014年の会では、大体2011年版をもとに、2、3の間違いを発見して直し、上演しました。

振りの方はそれでよかったのですが、ササラ(背中につける2m42cmの長い竹)については、全部新しく作りました。初演の1951年から60年もたった2011年のサニーホールでは、すでによれよれになっていてとても踊りにくそうだったので、次の公演があるとしたら作りかえなければならないと考えていましたところ、間もなく新国立劇場主催でダンスアーカイヴが企画され「日本の太鼓」を上演してほしいとお話があり、農閑期になるのを待って、2012年12月に入るとすぐ岩手県奥州市の教育委員会歴史遺産課を通じて、昔、江口隆哉が製作を依頼した鶴羽衣(ツルハギ)の及川喜孝氏(代は変わっていました)にササラの寸法と数を言い、竹を伐って上半分を裂いて送ってくれるように頼みました。

太鼓の皮革も、もう古くなって2011年サニーホールでは一枚破れましたので余分にもう一枚買っておきましたところ、やはり2014年のこの公演では又、一枚破れて丁度用意しておいたものが役に立ってよかったと思いました。頭(カシラ:頭のかぶりもの)については角(ツノ)が大きいので折れてしまうことがあります。江頭良年さんが舞台稽古の時にはつきっきりで修復をしてくれました。

「日本の太鼓」は装束に人手がかかります。1人の踊り手に2人の付き人がつき、着付けを手伝うのは勿論のこと、踊る度に汗びっしょりになった肌襦袢や体に巻いたサラシや足袋などを洗濯し乾かして、次に備えます。坂本秀子舞踊団の若手が献身的に働いてくれました。「日本の太鼓」のササラ、太鼓、袴などは、かつて宮操子が講師をしていた関係で、日本大学の所沢校舎の倉庫に、古い美術品として保管されています。公演の時は特別にお願いしてお借りするわけですが、ササラ等を新しく作りかえても保管はしてくれません。ですから、よれよれの古い方のササラをお返ししました。

もう一つの作品「タンゴ」は2011年サニーホールで吉垣恵美が踊った「正調タンゴ」の振りを中村恩恵に踊ってもらいました。

☆2015年3月「スカラ座のまり使い」  新国立劇場 ダンス・アーカイヴ in JAPAN Ⅱ
2011年サニーホールでの正調とそのバリエーション2種の上演がよかったとのことで、今回は以前と違った2種を考えてくださいというプロデューサーからのご要望があり、正調の他は日本舞踊バージョンと男性デュエットバージョンにしました。

☆2016年5月「プロメテの火」全景
江口隆哉は、著作「舞踊創作法」の中で、創作の実例として「プロメテの火」と「日本の太鼓」をとりあげてその創作過程をくわしく書いています。まだビデオがなかった時代、記録は紙に書くしか方法がなかったのです。私は、この二作を後世に残したいという江口隆哉の遺志を感じ、復刻上演をめざしていましたが、彼が設立の準備委員でもあった新国立劇場で、2016年5月28日(土)・29日(日)に「プロメテの火」全景を上演できることになり、現在、古い門下生の記憶と江口隆哉の記録文と写真を頼りに思い出せる限りの動きをくみ入れて再構成しているところです。

 

 

石井かほる ダンス・アーカイヴ石井漠作品再生作業に関わって・・・

DAiJ2014 石井 漠「食欲をそそる」写真1、「白い手袋」写真2/写真3
DAiJ2015 石井 漠「機械は生きている」写真4/写真5、「マスク」写真6

日時
DAiJ2014 石井 漠「食欲をそそる」写真1、「白い手袋」写真2
2014年6月6日(金) 開演19:00
2014年6月7日(土) 開演15:00
2014年6月8日(日) 開演15:00

DAiJ2015 石井 漠「機械は生きている」写真3、「マスク」写真4
2015年3月7日(土) 開演15:00
2015年3月8日(日) 開演15:00
会場
新国立劇場 中劇場

「ダンスアーカイヴ in JAPAN 2014-2015」で恩師石井漠先生の4作品と関わったことで、ご存命中の先生とでは出来なかっただろうコミュニケーションができたと思う。再生作業を通して、1900年代初期に渡欧し、当時のヨーロッパ芸術界の新風を吸収された漠先生の、新鮮な作風を感じることができた。漠先生と対話するようにしながら、4作品を上演順に記録していきたい。

1)『食欲をそそる(写真1)』1925年初演
コーヒー好きの漠先生は、新宿の喫茶店で朝のコーヒーを楽しんでいた。窓越しに見たビル建設中の掘削機が、大口で土砂を飲み込んでは吐き出す作業の動きから、発想を膨らませたものだと話してくださった。近代化を描くことにとどまらず、その展開をコミカルに表現しようとした独創性が見て取れる。ここに漠先生の創作の原点がある。4人のダンサーは、腰の重心を低くとった慣れない動きに挑戦してくれた。特にリズムに関しては、演奏者との阿吽の呼吸に苦戦した。

2)『白い手袋(写真2)』1948年初演
漠先生はこの作品で、男女のセクシュアルな関係を描こうとしている。白いボールは男性の象徴。そこにまつわる女性2人の関わりが実に象徴的、心理的に構築されている。当時ヨーロッパの芸術界ではセザンヌが提唱した『三角形の空間構成法』がセンセーショナルな話題をもたらしていた。私がこのことを知ってから、男女3人の動線、フォルムから見えてくる三角形の変容が突然理解できた気がした。漠先生は時代の動静を実に敏感に受けとめていたのだ。この作品も音楽は打楽器が奏でるリズムで、先生は『無音楽』と言っていたが、これはむしろ高度な音楽の存在を示したと思う。石井漠独自の音空間を共有することで、ダンサー間の<心の動き>を的確につかむ作品が創られた。後半で2拍子、3拍子、4拍子と3人が分担して動く展開が起るが、基調リズムで動いているため、視覚的な変化が見え難くなっている。先生が生きていらしたら、この革新的なアイディアについて尋ねたいと思ったことだ。新国立劇場バレエ団から選抜した3人が踊った。彼等の柔軟な理解力と協力的な作業で作品ができあがった。シンプルで洒落た衣裳デザインは東郷青児である。

3)『機械は生きている(写真3)』1948年初演
機械いじりが大好きだった先生が、単に機械の動きを舞踊にしたのでは無いことは明らか。ターナーの有名な作品『雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道』では、疾走する機関車の前を野うさぎが走る。良く知られたチャップリンの映像。これらの芸術に触れた先生が、近代化を称賛する一方で<近代化と人間>について考えられたことが原点にあると思うからだ。28名のダンサーはオーディションで選出した。全員を6グループの部品におさめ、センターを漠先生の孫である石井登がつとめた。モダンダンスでは個々の身体トレーニングが異なるため、群舞で協調していくのは困難なことだが、今回関わってくれた若者達は素晴らしかった。時代が動いていることを共同作業を通して実感したことだった。

4)『マスク(写真4)』1923年初演 ベルリン
この作品は、先生が帰国後、三越デパート屋上の野外で踊られた時の様子が、8mmカメラで撮影された1分弱の映像記録で残されていた。これが今回作品を掘り起こすことが出来た大きなきっかけとなった。写真家・清水真一氏は静岡県島田市出身で、第1号市民文化功労者である。映像は同市図書館に所蔵されている。映像には『表現派風舞踊詩・マスク/スクリアビーン曲』と、みなれた漠先生自筆の墨書きプログラムが掲げられている。私はまず超アバンギャルドな先生の踊りと、作曲家スクリアビーンの曲を使用していることに驚いた。20世紀初頭ドイツを中心に興隆した芸術思潮を鋭く感受したと見られる。その極端に歪曲化した強烈な動きから読みとれるのは、<歓喜と悲哀>の表現である。この作品を踊ることになった私は、1923年初演から92年の時間を経て踊る『マスク』に熱中して取り組んだ。

打楽器音楽のすべては、加藤訓子さんが演奏した。彼女の的確さとエネルギーに、ダンサーはどれほど助けられたことか。スクリアビーンの音楽の選択に協力して下さったのは作曲家の笠松泰洋氏。
新国立劇場のスタッフの諸氏の協力もすばらしかった。NO!と言うことがない。細部へのイメージを掬いあげてくれるのだ。この公演に関わって下さった総ての方々に、心から感謝いたします。

 

 

石川須姝子 檜 健次作品を担当して

DAiJ2014 檜 健次「BANBAN」 写真1/写真2
DAiJ2015 檜 健次「釣り人」 写真3/写真4

日時
DAiJ2014 檜 健次「BANBAN」 写真上
2014年6月6日(金) 開演19:00
2014年6月7日(土) 開演15:00
2014年6月8日(日) 開演15:00

DAiJ2015 檜 健次「釣り人」 写真下
2015年3月7日(土) 開演15:00
2015年3月8日(日) 開演15:00
会場
新国立劇場 中劇場

二年続けて恩師、檜健次先生の作品を発表させていただきました。

作品責任者として先ず大事にした事は、いかに現代のダンサー達に先生の作品に対する思いを伝えられるかでした。動きの質だけではなく、先生が一番大切にされていた心の表現を伝えられるか。

初年の「BANBAN」は、戦後の消沈した世の中に活気をよみがえらせる作品です。私自身も直接、先生から指導していただき踊ったことのある作品ですが、新国立劇場の奥行き深い舞台空間を考慮したうえで、ダンサー達が経験した事のない表現法や、リズムの取り方を、ダンスミストレスの桐山良子・田中いづみの熱心な指導に助けられマスターしてもらいました。結果、ダンサー達からは「もう一度BANBANを踊りたい」と云ってもらえる状態にまで持って行けた事が何よりも嬉しく思ったものです。

二年目の「釣り人」、これは檜健次のソロ代表作の一つです。先生が踊られた舞台を何度もこの眼で見ていたものの、私自身の体には入っていない作品です。檜健次の釣人の味をしっかり表現出来る人と思い、オーディションの結果、片岡通人さんに決めました。彼は熱心に檜健次に近づく事を念頭にビデオを繰り返し見ながら研究及び稽古を重ね、その結果、本番は彼の個性も生かされた表現となり安堵しました。一昔前の小道具(笠、つり竿、ピック)探しに一苦労もありました。尚、片岡さんは本番前から体調を崩し本番終了後、劇場より直接入院という状況の中、しっかり責任を果し、踊りぬいて下さった事に心より感謝しています。

今回この公演を企画された事を喜ばしく思うと共に、今後も過去の偉大な舞踊家作品が後世に伝えられる事を願っております。

 

 

折田克子 石井みどり作品「体」

DAiJ2015 石井みどり「体」

日時
2015年3月7日(土) 開演15:00
2015年3月8日(日) 開演15:00
会場
新国立劇場 中劇場

1961年、石井みどり作「体」(ストラビンスキー曲:春の祭典)再演にあたり、ダンサーとして、又ミストレスとして関わってきた私が、今回、再演の責任者として石井みどりの作品と新たに向かい合いながら様々発見をしつつ、本番へと取り組みました。初演プログラムは、古事記から引用された文章が掲載されており、このストラビンスキー「春の祭典」という曲から、生贄の物語や、スペクタクル舞踊を想像するものが多い中、石井みどりがこの名曲から得たインスピレーションは「自然と生命力」であり、この大作は「体(ボディ)」として人間賛歌へと向い高く評価され、文部大臣賞、芸術選奨、芸術祭個人演技賞(折田克子)を受賞、当時としては、革新的な作品であったと思う。

・ダンサーとのコミュニケーション
まずこの「体」という作品、石井みどりの「自然と生命力」を表現していくには、この変拍子の多い曲を駆使しなければならなかった。曲は伴奏にあらず*1、身体がとらえ発信するまさに「体」である。

ダンサー達には、まず自分で曲が歌えること!= 呼吸であり(純度)、それによって身体から発信されるメッセージとなることに挑戦してもらった。

そして、オフバランスの曲線と直線とのせめぎあいの動き、重心移動によって運ぶ足、中心から裏へボディを使うこと又、動中の静等に、ダンサー達は格闘。しかし、それぞれの個性は失わない存在であること。ダンサー達が最後に至るまで、努力してくださった成果は、終章の見事な人間賛歌へと謳歌し、生き生きとしたエネルギーが伝わったことに、ありがとう!の一言、感謝致しております。

・石井みどり作品に対する条件
今回作品を立ち上げるために、以前のDVDをみつつ、石井みどりのコメント(文句)をなんとか今回こそクリアできないか!と考えた。

「目に付す闇」「上のない下」等のコメントは、まさに今、直面している地球・宇宙・生き物と科学との反比例する問題等、作品を理解するうえでの条件となりました。常々、「目は心の窓です」と申してた母、目では見えない闇こそ心の目(魂)なのではないか。又、作品を進めていくにあたり、エロス、生き物の共存する条件、命、、、とつらなっていく人間のあり様が見え、生命の賛歌へと進む助けとなりました。尚、故:天才・前田哲彦のよりシンプルな衣装デザイン・舞台装置は、動視覚*2として、見事な舞台効果となり、作品のスケールをも象徴、「体」との共存となりました。

・当日の主な皆様からのコメント
・海外の方々より「繊細にして大胆」
・ストラビンスキーに見てもらいたかった。
・舞台のパワーにより終演時に、すぐに席をたてなかった!
・春雷に打たれたような驚き!
・想像や期待をはるかに超えたエネルギーでした。

最後に、この公演を支えて下さいましたスタッフの方々、現代舞踊協会、主催頂きました新国立劇場に厚く御礼申し上げます。

*1 曲は伴奏にあらず
石井みどりがよく口にしていた言葉であり、「音楽はそれのみで完成されているものなので、舞踊家は音楽を完全に理解し自分のものとしなければならない」というのがその真意である。

*2 動視覚
前田哲彦と石井みどり・折田克子との間で、単なるセットとして舞台上に置くのではなく、「ある程度動かしましょう」というやり取りの中で生まれた言葉。

 

 

執行伸宜 「恐怖の踊り」再現にあたり

DAiJ2015 執行正俊「恐怖の踊り」

日時
2015年3月7日(土) 開演15:00
2015年3月8日(日) 開演15:00
会場
新国立劇場 中劇場

1932年に、父正俊がベルリンで初演した「恐怖の踊り」を第二回ダンス・アーカイヴ in JAPANで再現上演したい、との要請を受け、喜びと共に、はたして実現出来るのか?の想いが交錯した。そしてまずは、前年の夏期舞踊大学講座に於いて受講者達に実技指導する事に成った。幸い1983年にNHKで放映した「日本の現代舞踊-モダンダンス」の中で、父から振付けられ、私が踊ったビデオが手元に有ったので、とりあえず振りだけは、伝える事が出来ると思った。しかし本当にこの作品の価値を伝えるのには、そこに込められた作者の想いや、時代背景を理解してもらう事が大切だと思い、改めて父の残した色々の資料に目を通す事と成った。

正俊は、東洋音楽学校(現東京音楽大学)ピアノ科を卒業後、翌年の1930年にドイツに留学し、カテリナ・デビリエバレエ学校でクラシックバレエと、そのキャラクタ・ダンス*科でスペイン舞踊、そしてマリー・ヴィグマン舞踊学校でノイエ・タンツを学んだ。当時のドイツは、「自然に帰れ」のダンカン、「リトミック」のダルクローズの後を受け、ラバン、ヴィグマンの目指す、新しい舞踊「ノイエ・タンツ」が世界的な注目を受け、世界各国から、踊りを志す若者達が集まって来た時代であった。

又バレエ界に於いても、ディアギレフの死後、ヨーロッパ各地に散らばったバレエリュスのメンバー達は、新しいスタイルの創作バレエを求めて、ノイエ・タンツとの交流も盛んに行われていた。そうした環境の元、正俊は、朝はバレエ、午後から、ノイエ・タンツ、夕方から、キャラクタ・クラスでスペイン舞踊、そして日曜日には、美術館めぐり、と言う様な濃密な毎日を過ごしていた。

さて話は「恐怖の踊り」に戻るが、この踊りは正俊がベルリンで学んだ色々なスタイルの踊りの要素が全て凝縮された作品と言える。下半身の動きのほとんどはクラシックバレエ(所々にクラシックには無い、特徴的なINステップが使われている)、上半身は恐怖を表すノイエ・タンツ風の動き、そして所々にスペイン舞踊のサパティアードや腕の動き、と言う具合で、バレエ、ノイエ・タンツ、スペイン舞踊を学んだ事が無い人には、中々表現の難しい踊りである。

ファーリャの音楽によるバレエ「恋は魔術師」では、この場面は、新しい恋人が出来た未亡人カンデラスが夫の亡霊の嫉妬に悩まされるシーンだが、正俊はスペイン舞踊の名花アルヘンティーナの踊るこの踊りを観た時、これを、男の踊りとして表現したいと思ったそうだ。4分間の小品として作られたこの作品は、私は「恋は魔術師」の一場面と言うより、当時海外留学をする人など珍しい時代に、言葉もしゃべれないまま、単身留学した彼が感じた自分へのプレッシャー、恐怖心の表現で有ったと理解している。

上演にあたり、踊りやすいテンポを決める為、日本で手に入る全てのCDを聴いたが、NHKでの録画では、第一曲目の「前奏曲」で始まり、第二曲目の「洞窟の中」と続き、途中でフェードアウトして第五曲目の「恐怖の踊り」に繋がり、最後に又、「前奏曲」に戻って終わっている事が分かった。1932年に初演した頃は、テープレコーダーもパソコンも無い時代だったので、公演は全て、生演奏で行われており、楽譜さえ有れば、ピアニストと相談して、自由にジョイント出来たのだと思う。

いよいよ、この踊りをアーカイヴの舞台で踊ってもらうダンサーを決めなければならない段階に入り、クラシックバレエがきちんと踊れて、モダンダンスの動きや劇的な表現も出来、そしてどんな踊りにでも対応出来る柔らかな感性を持ったダンサーとして私の頭に浮かんだのは、東京シティ・バレエ団の小林洋壱さんだった。彼には前にNBAバレエ団で私の作品の主役を踊ってもらったり、舞踊作家協会の公演でコンテンポラリー作品を踊っているのを見て、彼に幅の広い表現力を感じていたからである。この踊りは肉体的には20代のダンサーが踊るような激しい動きも有るが、表現力という点では、30代位の、ある程度キャリアを積んだダンサーでないと表現できない内容を持つ。私がNHKで踊ったのは、39歳の時で、特に連続で飛ぶ9回のジャンプは、そうとうきつかったのを覚えている。正俊が初演したのは24歳の時だから、スタミナ的には、楽に踊りこなしていたに違いない。表現に関しても、残された数枚の写真で見る限り、その表情からは迫力有る表現力を感じ取ることが出来る。

本番の音楽は、アーカイヴという意味では、当時そのままにピアノ伴奏で行うべきだったのかもしれないが、NHKでの再演の折り、父の考えで、迫力が有り、よりこの踊りの表現に相応しいCDでのオーケストラ版を選んだので、その意志を汲み、アーカイヴでもCDを音源とした。本番での小林さんは、とても良く踊ってくれて大成功であった。

私自身は、ヴィグマンの作品を踊った事は無いが、この踊りを踊る少し前、スターダンサーズ・バレエ団でクルトヨースの「緑のテーブル」に出演する機会が有り、同じドイツ表現主義の流れをくむ作品として、とても親近感を感じる事が出来た。コンクールの影響か、近頃は、モダンダンスの中にもテクニック重視の兆しを感じるが、今回のアーカイヴの公演を観て、これからの若い創作者達が、舞台上で指一本動かす事の意味の重要性を感じ取って頂けたら、と願っている。

*キャラクタ・ダンス:民族舞踊の特徴的なリズムやステップをクラシックバレエに取りこんだ踊り。

 

 

藤井利子 小森敏作品の再現にあたり

DAiJ2014 小森 敏「タンゴ」(6/6,7,8)

日時
2014年6月6日(金) 開演19:00
2014年6月7日(土) 開演15:00
2014年6月8日(日) 開演15:00
会場
新国立劇場 中劇場

 

 

小森敏作品「タンゴ」を担当させて頂きました藤井利子です。小森敏晩年の弟子でございました。新国立劇場主催ダンス・アーカイヴ in JAPANは、素晴らしい企画で、貴重な体験をさせて頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。そして「日本の現代舞踊のパイオニア」出版も、後世へ残す貴重なプレゼントなので、私も大切に保存致し度く思っております。

円熟期をフランスで活動していた小森敏を知る人は少ないと思われますので、参加させて頂いた事が、私にとっては、此の上無い有難い機会でございました。日本の美と西洋の美を、自然に融合させた独自の小森敏のダンスは、小森敏のみ可能なソロダンスのブランドでしたが、私共弟子は、ダンス育成の練習曲(かつて小森が踊っていた作品も含まれていた)を踊りながら、先生のダンスの片鱗を感じとり、今も大事に学ばせて頂いております。

小森敏作品「タンゴ」の出演ダンサー柳下規夫氏には、方向・ステップ・間の骨格のみを伝え、内包するイメージによる表現は、一切お任せして、型にとらわれず自由に踊って下さる様お願いしました。
3日間の舞台終演後、初めて、どんなテーマで踊ったのかを聞きました。「3回の舞台を、日毎に人生の異ったイメージのタンゴを踊らせてもらいました」との事。最終日は、「人生終(つい)のタンゴ」つまり人生最後の舞台、舞台人生の大団円をイメージしたとの事です。たった3分の曲の中に、多くのステップが入った振付なので、強靭さと繊細な感性の動きが必要だったと思います。そして小森敏ダンスの特質でもある品格を貫いて下さり、感謝!感謝!です。小森敏も、各国巡演公演等では、舞台を踏む度、新たなイメージで練り直し、洗練されたダンスへと達成させて行ったと思われますので、私には、小森敏と柳下規夫のダンスが重なって感じられ、胸を熱くいたしました。そして敏先生と藤井公の満面の笑顔を見た気がいたしました。

公演にかかわって下さいました方々に、厚く御礼を申し上げます。

 

 

山田奈々子 高田せい子作品「母」復元の記録

DAiJ2014 高田せい子「母」写真1(6/6,7)、写真2/写真3(6/8)

日時
2014年6月6日(金) 開演19:00
2014年6月7日(土) 開演15:00
2014年6月8日(日) 開演15:00
会場
新国立劇場 中劇場

 

 

「無事、追加公演まで満席のお客様を迎え盛況裡に打上げほっと致しました。
「母」は、高田先生の想いと安藤さんの振りを源に、私のイメージを加えて試行錯誤1年、ダブルキャストのダンサーと稽古を重ね仕上げました。年配の方々にも若い観客にも感動して頂き、昭和は凄いと改めて目を見張る思いです。」

公演を終えた翌日、映像を提供して下さった先輩安藤哲子さんに送った手紙の一部です。5分の作品に1年の準備期間があるのはめったにないことだと今になって思います。正田先生(正田千鶴DAiJ企画運営委員会代表)にダンスアーカイヴへの参加依頼を頂いた折には、高田先生は再現出来ませんと辞退致しました。ソロ作品は、振りは残っていてもその舞踊家が亡くなった時その踊りも消えると思っていたからです。踊りはとどまらない、流れ去るからこそ、その燃えつくす一瞬が貴重で美しいと思うのです。

その後、新国立の打ち合わせ会に伺い、望月さん(望月辰夫 新国立劇場 制作部 舞踊チーフプロデューサー)からも、コピーではなく、貴女の中にある高田せい子を再現して下さいと言われました。安藤さんの映像を拝見して、ダブるように高田先生がいらっしゃるのを感じました。

ダンサーを通して、高田せい子の「母という作品への想い」を甦らせる貴重なチャンスに挑んでみようと心に決めたのです。

スタートは現代舞踊協会の夏期舞踊大学講座。猛暑の中、北から南から数十名の方の参加があり、熱気は私の想像を超えていました。最後に、ヴェテランも高校生も女性も男性も全員で踊った「母」。それぞれが母を思って踊られたのでしょう、最後の音が消えた時、ダンサーも観ていた方からも自然に拍手が湧き上がり感動しました。

12月、馬場ひかりさん、加賀谷香さんとの稽古スタート。新国立のリハーサル室へと通う日々が続きました。稽古を重ねるうち、振りから作品へと進展して行く過程が楽しく素敵な時間でした。ある日、お二人が踊っている中に高田先生が、一緒にひらひらと舞う姿を見ました。ああ、きっと喜んでいらっしゃる!

高田せい子、安藤哲子、馬場ひかり、加賀谷香、皆違います。でもその想いは継承されたのだと思います。
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女性創作舞踊家第1号であったと言われる高田せい子の作品は、心に浮かぶ詩的現象を、身体と音楽との融合により感覚的に表現している。
「母」
母の大きな愛と、強さ、そして子供を授かった感謝を神に捧げる美しい姿を描いている。
5分間でドラマを完結させている珠玉の小品。
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2015年11月7日、あうるすぽっとの舞台で「母」を踊りました。
私の心を込めて
新国立劇場・現代舞踊協会に感謝申し上げております。

 

 

井村恭子 伊藤道郎「ピチカット」「タンゴ」

伊藤道郎「ピチカット」写真1(6/6,7):写真2/写真3(6/8)、「タンゴ」写真4/写真5(6/6,7,8)

日時
2014年6月6日(金) 開演19:00
2014年6月7日(土) 開演15:00
2014年6月8日(日) 開演15:00
会場
新国立劇場 中劇場

「俺たちの先祖は偉かった」――1919年歌舞伎役者で初めて外遊した二代目市川猿之助の言葉として児玉竜一氏記載記事を拝読――ちょっと意味合いが違うのですが、ここ100年の現代舞踊のパイオニアの偉業を知る時、やっぱり「俺たちの先祖は偉かった」と胸のうちが竦む思いがします。

アーカイヴの企画に、師伊藤道郎の「ピチカット」「タンゴ」の2作品で参加してかけがえのないことであったと思い返しています。伊藤道郎の作品に関しては50年前、師の急逝に「消してはならない」の一心で同門会を結成し、資料保存の作業をしておりましたから振り付けに苦労することはありませんでしたが、同人以外のキャスティングは初めてのことでしたので少し戸惑いました。新しい企画では当然のことなのですが、自分自身が所謂「ミチオ流」のイメージから抜けられなくてスタッフの方々の問題児(?)になってしまいました。ピチカットの衣裳は並河万里子さんにお願いしましたが、今のナイロン系の材質ではないため“生地探しに引っ張り廻されるなんて初めて!”とあきれられたり、今にして思うところはいろいろですが、苦労話より反省話の方が多く苦笑がたえません。キャスティングは「ピチカット」をダブルキャストで時田ひとしさんと妻木律子さんに、「タンゴ」をクラシックバレエの武石光嗣さんに企画側の推薦でお願いすることになりました。

伊藤道郎の作品は、ミチオ独自のメソードとしてテンゼスチャーと云う型の制約がありますから、この辺りがきつかったのではと思います。精神面の表現が濃いソロ作品であるだけにダンサーとしては、その年代を踊るか、今を踊るか、自分を踊るか、ミチオと云うセオリーを背負って思い悩みながらの挑戦だったと思います。

その後加藤みや子先生から、諏訪市舞踊体験事業「創って遊ぼう!ダンス体験!」*で作品鑑賞としてピチカットをとお話があって、時田さんが踊って下さいました。早速のアプローチうれしいことでした。

何かが生きたDAiJ2014、舞踊史のタテ軸となるパイオニアたちの作品は、ヨコ軸となる今の時間のためにも、このような企画が継続されることを願いつつ、私自身は何を捨てて何を残すか、もう一度ミチオ作品に白紙で向き合える機会を得たことに心から感謝しています。

*研究企画部「創って遊ぼう!ダンス体験」~地域の宝をダンスで掘り起こそう~
諏訪市が世界へ!舞踊家ニムラエイイチの意志をつなぐ
2014年8月9日(土)・10日(日)於:諏訪市文化センター(主催:長野県諏訪市)